<お礼>
いいねや応援を押して頂いた方、ありがとうございます!
もし読んで頂いた方がいた時に、私が発信することに共感も反感もしてほしいわけではないので、コメント欄は閉鎖させてもらっていますが、いいねや応援を押してもらえたこと、また、読んで頂けたことは心より嬉しいです。
感謝を伝えたく、記させて頂きます。
<人の心>
心なんて、ひとことでわかるわけではない。
私は、その場だけのおべんちゃらを言われるのが、今は嫌いだ。
「今は」というのも、昔の私は、自分が他人からどう思われるかが自分の評価とつなげていたため、たとえ表面上のおべんちゃらでもすべて嬉しく受け入れてきた過去がある。
でも、40年以上生きていると、それなりに色々な人に出会い、勝手に信じて裏切られて、それを繰り返し、やっと自分で自分を評価することが正しいと理解できた。
それ以来、自分や他人の言動を第三者の目線で見ることを心がけている。
そうすると、始めに記した表面上のその場かぎりのおべんちゃらは、本当にその場かぎりで、きっとそれを言う人自身が良く思われたいという気持ち(まさに過去の自分)が柿間見えてしまう。
そのおべんちゃらにちょっと冷たい対応をしただけで、その相手の態度が微妙に冷たくなる。手応えがなく、きっとおべんちゃらを言う気力が少しなくなったのだろう。
最近も実際にあった。
過去の自分も、きっとおべんちゃらを使っていただろう。なぜなら、良く思われたかったから。今となってはすごく反省をする。
そして、過去の癖でおべんちゃらを言っていないか、その場その場で注意している。
心からの言葉とおべんちゃらの言葉。
それらを見極めて、その人の人間性を自分なりに理解できたらと思う。
こんなことを考える自分は、きっと面倒くさい人間なんだろうと思うが、嫌いじゃない。