今、私達は21世紀に入って、私達人類の行く末について、過去にどこから来て、今現在どこに立って何を見つめ、将来どこへ向かうのであるのが本当か、というシンプルで深い哲学的あるいは宗教的な問いかけに答えを出す必要に迫られている。それは21世紀に到る人類文化の進歩が、総人口60億人を超過する繁栄と物質的幸福をもたらしはしたが、現在、文明という観点からその繁栄と幸福の様子を考える時、私達人類が思考する輝かしい未来にたどりつくまでに、あるいは自滅するかもしれない危機的状況に陥っている事を見出すからである。つまり物質的には立派な文明世界にはなったが、それは外殻だけで、肝腎な中身が野蛮のままであるという事である。そこで、野蛮な中身故に素晴らしい文明の力が恐るべき結果を私達人類にもたらすという予想から、全ては一からやり直し、考え直ししなくてはならないのである。
故にこれまで既成の人類文化に対する認識も、これからは改められるべき必要から「衝突する文明」と目されている。衝突する文明とは物騒だが、こうなるにはその原因として当然どこかに欠陥と誤まりがなければならならない訳で、文明に欠陥と誤謬があればこそ衝突するという事が世間一般に明確にされるべきであろう。分りやすい所では中国やインドを代表とする東洋文明の欠陥、アメリカやヨーロッパを代表とする西洋文明の誤謬が指摘されなくてはならないのであり、いわゆる欠陥文明の是正が求められている現在と言えよう。そうして、この衝突する文明・・・是正されるべき欠陥文明世界は仮のものとして存在して来た訳であるから、今度は未来における文明世界の真相が認識される順序になるのは最早明らかである。つまり、今こそ我々人類の未来の為に現在の文明に欠けている何かを明らかにする事が、未来への展望につながり、全人類が行動すべき、ある程度の目標を捉える事になると思うのである。