保坂学のグッドバイブスではじめました!弟の耕司と2人で保坂兄弟!

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僕のポルシェは世界80本限定のジルヴィルヌーヴF1レースハンドル 保坂兄弟の911S

2021-10-14 04:01:00 | 日記


こんにちは

保坂学です



今回は前ブログの続編なので、ポルシェってどんなクルマ?ってマニアックになりますが、興味あれば暇つぶしに読んでみて下さい。


前回のブログ投稿は、空冷ポルシェの歴史、911のスペックなど、なぜコードが901から911になったのか?、1976911Sはポルシェジャパンが設立されて、初めてのポルシェなどについてです。


今回の投稿テーマは、僕の愛車ポルシェ911Sのステアリングを変えた理由、MOMOというブランド、ジルヴィルヌーヴはどんなF1レーサーだったのか?などにフォーカスしました。



愛車のポルシェ911Sは、1976年に生産されて、40数年もの時を刻んでいるレースカーなので、MOMO70年代〜80年代前半くらいまでの同時期に生産していた、MOMO Gilles Villeneuve Steering Wheel Limited Edition 12/80のステアリングに変えました。(子供の頃を思い出すミニ四駆感覚でチェンジ)






イタリアで生まれのMOMOは、1964年にジャンピエロ モレッティが設立しました。


社名のモモは、モレッティとモンツァから付けられたのが由来みたいで、momoの設立当初は、レースやサーキット製品だけを製造していましたが、1970年からは市販車向けのステアリングホイール販売に着手し、知名度が上がりました。


僕のハンドルは、F1ドライバーシグネチャーシリーズのジル ヴィルヌーヴ モデルで、その時代の最高の讃美を得たドライバーがmomoに選ばれ、デザインをするシリーズになります。(僕の好きな伝説のF1ドライバー ジル ヴィルヌーヴ)


フェラーリの赤い閃光と呼ばれた、ジル ヴィルヌーヴが、生前最後にデザインした、世界で80本だけ限定生産された、ステアリングを選びました。(限定って人と被らないし、伝説ですから価値が上がるから好き)


真円で細身のハンドルには、円のグリップの周囲を革張りされ、グリップ部は指がフィットするように、内側の裏側だけ触ると分かるくらいにデコボコしていて、これがヴィルヌーヴの走る時の握り手の感覚なんだと、グリップに指をフィットさせながら、嬉しく思っていました。(憧れてます)


僕がヴィルヌーヴを憧れ好きになり、彼のモデルを選んだ理由は、彼の走りの心構えに魅了されてしまったからです。


彼の走りで伝説となっているのは、レース最中タイヤがバーストして、肩輪が動かない深刻な形勢でありながら、カウンターステアが動けば、三輪走行をしてでも完走するマインドの持主なんです。(カッコ良すぎる)


絶対にレースを諦めない姿勢は、不屈のドライバーとして、世界中の人々に愛され尊敬されていました。


ジルヴィルヌーヴのF1伝説の三輪走行



富士スピードウェイで行われた日本GP 最終戦、序盤にティレルのロニー ピーターソンに追突してしまい、ヴィルヌーブのフェラーリは宙高く舞い上がり、立ち入り禁止区域にいた観客の中に落下しました。


この惨事は進入禁止エリアで観客が観戦し、警備員が再三の撤退を促していた最中で起きたものである。


しかし当時の世界の常識から遅れていた日本は、モータースポーツへの理解が低く、ヴィルヌーヴは業務上過失致死の容疑で書類送検され、日本から永久追放処分となりました。


このジル ヴィルヌーヴの事故を最後に、日本におけるF1開催は10年間にわたり中断されることになった。


日本のマスコミが扇動して、各国のマスコミを巻き込み、彼らの激しい非難と誹謗中傷にヴィルヌーヴは晒されたが、業界の重鎮であるエンツォ フェラーリは「死亡事故は今までにもたくさんあった、これがF1レースの世界だ」だと、F1業界と共にヴィルヌーヴを擁護する声明を出し、全世界のメディアを一蹴しました。(その通り!)



ピローニのタイムを更新するために、タイムアタックを続ける中、コーナーのS字カーブでスロー走行中のヨッヘン マスのマシンに遭遇し、マスはサイドミラーから赤い閃光が見え、レコードラインを譲ろうとしたが、ヴィルヌーヴも同じ方向に動いてしまった。


マシンの速度は推定時速230km/hに達していて、ヴィルヌーヴの左前のタイヤが、マスの右後ろのタイヤに乗り上げ、ヴィルヌーヴマシンは宙に舞い上がり、前部からアスファルトに激突し、大破しながら150mほど転がり、この時の衝撃でシートベルトがちぎれ、ヴィルヌーヴの身体はマシンから外に放り出され、フェンスに叩きつけられた。


ヴィルヌーヴは、F1の歴史における名声を残すバトルを幾度も繰り広げ、フェラーリの赤い閃光と呼ばれる天才は、1982年ベルギーGPの最中、若干32歳の若さで儚くも散ってしまった。


この衝撃的な事故は、映像として現存していて、F1レースの中で、最も驚嘆な事故として、1983年のウィニング ラン、1987年グッバイ ヒーローなど、映画としても放映されました。


ジルヴィルヌーヴの1982年ベルギーGP事故映像


時代の寵児である、ヴィルヌーヴの鬼神の如き活躍と逝去は伝説となり、象徴である27番は、偉大な番号として愛され、誰もが羨むフェラーリのエースドライバーを象徴するナンバーなりました。


27番を背負ったドライバー全員が数々の伝説的なドライバーで、その名は錚々たるメンバーであった。


パトリック タンベイ、ミケーレ アルボレート、ナイジェル マンセル、アイルトン セナ、アラン プロスト、ジャン アレジらは、偉大な27番を自ら受け継いで、ジル ヴィルヌーヴの魂を背負いF1 GPを闘い抜きました。



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