情報過多の世の中です。
私みたいな単細胞には、何が正しいか正しくないか
分かりませんからと言いますか、多すぎでどうでも
よくなって最近は自分で判断するようにしています。
情報提供者は沢山伝達することが仕事ですから聞き手の
事情など無視です。
特に上下関係が発生している場合(上司と部下、
先生と生徒等)やマスメディアなどからの情報は
有無が言えません。(老化現象と言われつつも私は時々
TVに向かって好き勝手言ってますが)
聞き入れるか否か、信じるか否か、振り回されるか
まわされないかは、聞き手が選択権を委ねられています。
ある本をきっかけに、私は今手元にあるもの既に
手に入れている物(今の所?健康とか?)へからの
感謝を始めることを習いました。感謝の一覧表みたいに
メモルと不思議ですねぇ。
感謝の気持ちは、浸透性があるのかさらに感謝を生む原動力に
なります。そして、習慣化されると幸せな気分になってきます。
突き詰めていくと自然への感謝とか、自分が今こうして
生きていられる事とか両親、家族、友人、仕事仲間、愛犬への
思いなど等、すると必然的に自分に一番必要な物が分かってきます。
それを基盤に色々な情報を自分なりに理解し習得していくと、
自分流の丁度いい加減が分かってきます。
自分にとって不必要な情報が入らなくなってきます。
らしくない生き方は負担を生みます。
こんな世知辛い世の中だからこそ、個性を生かして生きて
生きたいと思っちゃいます。
何でも平均化して同色化するから悲しい事件が
絶えないんじゃないのかしらん。
小さい時の自分を思い起こすと、居心地のいい
楽しいんでいる
自分の姿が見えてきません??
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