コリー専門マザーレイク犬舎 http://motherlakecollie.sakura.ne.jp/index.html
ジェナが虹の橋の向こうへと旅立って、明日で10日になります。オフ会の前日の早朝の事でした。
16年3ヵ月もずっと一緒にいて、突然パタッといなくなったので、今はまだ、実感がわきません。いつものように、どこか隅っこの方で寝ている気がします。
16歳3ヵ月と言うのは、柴犬としては「ちょっとだけ長生きした」と言えるでしょうか。コリーはここまで長生きすることはほぼないでしょうから、間違いなく、我が家の最長不倒記録となるでしょう。ジェナは我が家で生まれた子なので、まるっと16年3ヵ月でした。
亡くなったのは水曜日の早朝だったわけですが、3日前の日曜日の朝までは、普段と何も変わりませんでした。フードもがっついて食べてしまいましたし。
ただ、夕食になると、食べようとはするものの、あまり口に入らない様子で、普段の半分ほど食べたところでやめました。けれど、それまでも時々ではありましたが、上手く口に入らず、途中で疲れてしまうことがあったので、あまり気にしませんでした。顎や舌の動きが良くない時があったからです。
大きな変化があったのは、月曜日の夕方からでした。最初はいつものように、足をばたつかせ、立ち上がろうとしてもがいている感じだったのですが、そのうち口をパクパクさせ、頭を振るように・・・。
その動きが、いつまでたっても止まらず、癲癇を起こしているように見えました。治まるのを待っていましたが、夜中になっても止まらず・・・。多少は治まったものの、翌朝になっても止まりませんでした。
年齢からして、覚悟はしていましたので、何かあっても、病院には連れて行かず、家で見守るつもりでしたが、このまま力尽きるまで癲癇が続くのは・・・と思い、せめて癲癇を止めてあげたいと、火曜日の朝、病院に連れて行きました。
ところが、診察室に入って間もなく、採血した直後、先生が背中を向けている時に、様子が急変、何度も看取ってきた私は、すぐに「あ・・・」と、気づきました。
すぐに先生も気づき、そのまま奥の処置室へ。
正直なところ、私は延命処置は望んでいませんでしたので、そのまま逝かせてあげてもいいと思いました。なので、先生に「もう覚悟はしていますので、ここまででいいです」と言ったのですが、先生はあきらめず、心臓マッサージ、人工呼吸器、強心剤、輸液と、手を尽くしてくださいました。
その間、何度心臓が止まったかわかりません。心電図が何度も無反応になりました。少し心臓マッサージをすると、、ジェナの心臓は再び動き始め、そしてまた止まる・・・を繰り返しました。少なくとも、15回くらいは止まったと思います。
2時間ほどかけて、ようやく心臓の拍動が安定し、それから慎重に人工呼吸器を外しました。最初は自発呼吸ができませんでしたが、何度か刺激しているうちに、呼吸も安定、血色も戻ったのです。
ジェナの驚異的な生命力に、先生も感心していました。延命処置は望んでいなかったけど、病院で逝かせるのは避けたかったので、家に連れて帰ることができて良かったです。癲癇は治まっていました。
自宅に戻り、体温の低下を防ぐためにペットボトルで湯たんぽを作り、静かに寝かせました。血色は良くなり、呼吸も落ち着いているものの、意識は戻っていませんでした。
とても静かに寝ていましたので・・・。
このまま、ジロちゃんみたいに、眠ったまま、静かに逝ってくれたら・・・。
そう思ってしまいました。病院で再び心臓が動き出して復活したものの、ここから長く生きられるとは、到底思えなかったからです。癲癇の症状から、脳に障害が起きていると予想されると、先生もおっしゃっていましたから。
その日の夜は、私が寝ている間に心臓が止まってしまっても、一人ぼっちではないように、リビングに寝かせました。若いコリーズはケージに入っているので、ジェナに悪戯をするようなことはありませんから。
お互いを気遣うように一緒にいたヴィーやワカチー、ワカコ、イネの老犬たちが周りにいました。
夜中に何度か呼吸を確認しましたが、ずっと変わらず、静かに寝息を立てて寝ていました。何度か湯たんぽのお湯を交換しましたが、体温は低いままでしたので、意識は戻りませんでした。
翌朝、つまり、オフ会の前日の朝です。5時ごろに呼吸を確認したら、安定はしているものの、浅くなっている感じがしました。ケージにいるコリーズを開放しなくてはならないので、踏まれたりしないようにと、再びジェナを子犬部屋に戻したところ、間もなくして、声をあげました。
「クゥ~ン」というような、誰かを呼ぶようななき方でした。何度かないたので、意識が戻ってきたのかな??と、少し期待をして、水を飲ませてみようと、お水の支度をして、ジェナのところに戻った時でした。
水を飲ませるために、口元を開いた時・・・。
血の気が全くありませんでした。下に敷いたシーツが汚れていました。これまでの経験から、不安がよぎったその時でした。
ジェナの足が、ググ~~ッと伸びました。それが何を意味するか、すぐに分かりましたので、急いで2号を呼びに行きました。
「早く!!ジェナが逝く!!」
意識が戻っていたのか、どうだったのか、わかりません。けれど、まるで私たちを呼ぶかのように、何度かないたのは、やはり朦朧とした中で、多少は意識があったのだろうと思います。
なすすべもなく見守る中、ジェナは静かに息を引き取りました。16年3か月と22日の生涯を終えました。
最後は静かに逝くことができて、良かったと思います。
もう少し置いておきたいと思ったのですが、翌日はオフ会でしたので、その日の午後、荼毘に伏しました。家を出る前に、いつもラッシーと遊んでいた裏庭や、老犬になってからの定位置だった勝手口のドアの前、いつも日向ぼっこしていた玄関テラス・・・もちろん、コリーズともお別れしました。
ジェナは16歳を過ぎていた割には骨太でしっかりしていたそうです。骨壺はちょっと大きめになりました。
ジェナは我が家で生まれ、離乳前に足に怪我をしたことで親兄弟から離し、コリーズのいるリビングで、同じ年に生まれたパーやつっちゃんと一緒に育ちました。それだからか、自分はコリーだと信じていたようです。余所のコリーが来ると大歓迎だったのに、自分の子供たちが里帰りすると、本気で怒っていましたから。
性格も柴犬らしからぬ、コリーよりもコリーらしい性格でした。穏やかで、おっとり、セキュリティーもせず、人間が好き。犬に対しても友好的で、病院でも無抵抗だったので(柴犬は徹底抵抗する子が多いそうです)、獣医さんも「コリーと一緒にいるからですかね」なんて、言われていました。
3回ほどお産をし、立派に子育てもしました。ジェナの子供たちも、すでにみんな老犬になっていると思います。
一時はかなりのおデブで(笑)
14歳の時に、股関節脱臼になり、骨端切除の手術を受けました。その時、1週間ほど入院したのですが、それを境に、一気に認知症が進んでしまったように思います。でも、手術の甲斐あって、再び歩けるようになり、数か月後には、小走りができるほどになりました。
子犬達は随分、ジェナのお世話になりました。ジェナは煙たがっていましたけどね。
子犬達がどんなにうるさくしても、決して怒ったりしない、優しい婆ちゃんでした。
ふたりとも、いなくなってしまいました。
ジロちゃん、ジェナがそっちへ行ったよ。
遺影の写真はこれにしました。可愛く撮れていると思います。
ジェナは柴犬としては小柄で、7キロくらいでした。
私はもう、柴犬は飼いません。ジェナは柴犬だったけど、柴犬じゃなかったから。ジェナのような柴犬に巡り合うことは、もう二度とないと思うのです。
ジェナ、生まれ変わってくるとしたら、今度は本物のコリーになって生まれ変わってくるんだよ。
でも血統書の名前はすっごくかっこいい超日本犬の名前でしたね~なんだったけなぁ~
覚えていなくてごめんね~
MLの最初の頃のHPには若いジェナちゃんと赤ちゃんの写真もありましたね
ただただ、懐かしく思い出され、悲しいです
昔からマザーレイクのちゃんとしたメンバーですもの、向こうでもコリー仲間がいっぱいですね。
ジェナ婆、おつかれさま…安らかに…
ジェナちゃんの最期の様子が家のパールと一緒で、思い出して泣けてきました。身体を拭こうとタオルを用意していた時に、クゥ~ンクゥ~ンと私を呼びました。もう声も出せない状態でありながら、最後の力を振り絞るように・・・
ジェナちゃんは、本当にコリーだったね。
ジェナの血統書名は慈恵名号です。小さい頃の写真はフイルムカメラなので、デジタル化しないと、ネットにUPできないんです。
あらためて、ジェナは綺麗な柴犬だったなぁと、つくづく思います。尻尾が短かったですけどね(^_^.)それが、コリーみたいに下に下がっていて、柴犬らしくなくて(笑)
ジェナの子供たちも、何頭かは天国にいると思います。兄弟姉妹も・・・。
親のように慕っていたマークとローズもいますから、きっとこちらにいるより賑やかですね。
めいちゃんも、さつきちゃんも、かんたくんも、みんなジェナの事、知ってますもんね。
めいちゃん、さつきちゃん、ジェナをよろしくね。
パールちゃんと同じだったのですね。ジェナはずっと意識がなかったのに、朝になって誰かを呼ぶように数回ないたのです。最初は、意識が戻ったからだと思っていたのですが、後で考えれば、私たちを呼んでくれたのですね。
最後に、挨拶したかったのかな。。
本当に親孝行な、素晴らしい柴犬でした。