ぽこ日記

あきっぽい私がどこまで続けられるか・・・
日々のなにげない日常を綴ります

初詣と今年の目標

2016-01-03 01:34:18 | 日記
お昼前に初詣に家族で行った

かなりの人出

今年は息子の大学受験も控えているので念入りにお願い

おみくじは私は大吉だったんだけど、息子は末吉で「ダメだ~」と落ち込んでいました

結構こういうの気にするのかな?

運なんて自分で切り開いていくものだよ

おみくじはあくまでくじだから

私はなぜかお金が絡まないくじはくじ運がいいのです。(宝くじはダメだけどね)

子供が小学校の時の運動会の場所決めはくじ引きだったのだけど6年間のうち5回は一番前

1回は3列目だったんだけど、その年は雨で流れたので結局すべての年で一番前で見ることができた

釣り堀のくじも4回連続1番だしね(^-^)

でも釣れないけどね~~(;_;)

結局くじで運を使ってしまっている気がする


さて、今年の目標

大きな目標は生徒数を増やしてもうひとりスタッフを雇う事

小さな目標は本を100冊読む!は無理なので

短編を含めて100作品を読む!

ここ数年本をほとんど読んでいません

活字中毒って自分で思うくらい本が好きだったのに本離れしてしまったことが気になってました

今年こそはしっかり読みたいと思います

お正月は趣味三昧

2016-01-01 21:18:35 | 趣味の部屋
お正月は趣味三昧にしようと決めていた

とりあえずアメリカンフラワーのキットを購入したので作ってみる

キットは高いけど、続くかどうかわからないので道具一式を揃えるわけにはいかないので

お試して買ってみた

楽しい~~

楽々できたよ

でも、この後、続くかなぁ~

この頃本当に自分がやりたいことが何なのかわからなくなってきた

布を使っての手芸が本当はイチバン好きなような気がする

布バックが好き

おこたの中で編み物をするのも好き

アメリカンフラワーも楽しいけど、匂いがきついのがちょっと辛いかなぁ~

さぁ、明日は何を作ろう?

鯛の干物を作ってみた!

2015-12-29 22:08:43 | 日記
毎年、お正月休みは気が緩んでダウンするので今年はそうならないように

入念に計画をした

27日の日曜日は釣り

28日は釣った魚を捌いて、大掃除の続き

29日の今日は経理の入力と来年度から始める基礎講座のテキスト作り(2回分まで作った)

30日は餅つきとおせちの煮物作り 午後からは新しい趣味のアメリカンフラワー作り

31日はおせちの盛り付けとお墓参り

これが年内の予定 気を緩めないで過ごしたい

今のところこの計画はうまくいってるみたいで ダウンすることなく元気です\(^^)/

今日は鯛が沢山釣れたので 干物も作ってみました



お刺身にも飽きたしね

意外にもこの鯛の干物 普通に焼くより 旨みが凝縮されて美味しかったです




パソコン教室はもうダメなんだろうか・・・

2015-12-24 20:16:52 | パソコン教室
昨日から頭痛がする

あまりひどくはないけどやっぱり辛い

いつもお正月休みには頭痛がして、熱をだして寝込むけど

まだお正月には早いよ~~

体が先走ってお休みモードに入ろうとしているのかな

私の教室はスタッフは一人いるけど、まだすべてを任せられないから

お休みするわけにはいかない

この仕事を始めて12年になるけど、体調不良でお休みしたのは2日ほど。

後は、たとえ熱を出してもお腹をこわしてもなんとかやってきた

結構過酷な仕事です

来年はどうなっているんだろ

ここ数年は緩やかな右肩上がりで少しづつ生徒数も伸びていたけど

今年は緩やかに下がってきた

パソコン教室はもうダメなんだろうか

いや、まだ打つ手はあるはず

まだやめるわけにはいかない!

この歳で職探してもないからね

スタッフさんをクビにするわけにもいかない

私だけの教室じゃないんだって責任感もでてきた

体調管理してがんばる!



母が死んで・・・

2015-12-22 18:58:26 | 日記
母が死んで1年経つ

冷たい私は涙を1滴も流さなかった

母とは色々あったし、憎んだこともあったけど

私がそこまで冷たい娘だとは思わなかった

なぜ泣けなかったのだろう

姑が亡くなった時ですら泣いたのに・・・

もっと言えば飼い犬が死んだときだってもっと涙を流したのに

母は大腸がんから転移した肺がんを患っていた

抗がん剤も効かなくなり、がん治療は終了した

それから2年 医者も驚くほどの生命力で生き延びた

いつ死んでもおかしくない・・・

私の心にどこか覚悟みたいなものがあったのかもしれない

母は自由気ままな人で好きなように生きていた

苦労はしたかもしれないけど 幸せな人生だったと思う

私はずっとわだかまりがあって、遠くに嫁いだことをいい事に

あまり連絡もしなかった

電話もしない娘にある日とうとう母はキレて

「自分だけが幸せだったらそれでいいのか!」と言った

その言葉をそのまま母に返したかった

それでも母も亡くなる数年は私の事を心配する母親らしい母になっていた

決して憎んでいたわけじゃないのに

それでも まだ私は泣けない・・・・