当時、宗教が勢力となることで宗教そのものが腐敗していました。たとえば延暦寺は金融業もやっていました。もともとは貧しい人々を救済するために始めたのですが、いつしかサラ金も真っ青の年利50%以上の悪徳ローン会社になり、返済不能とみるやミナミの帝王もビックリの人身売買までやっちゃってます。これは延暦寺に限らず、当時の有力な寺社はほとんどがそんな状態で、市民を苦しめるようになります。
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そんな世の中、そんな宗教勢力に対して、「そんなんアカンやろ!ちゃんとしよ!」と叫んだのが織田信長だったわけです。信長にとってはそれこそが正義だったのです。正義の前には焼き討ちも止むなしというのが、信長の大義名分といえます。江戸時代の有名な学者であり政治家でもある新井白石は、その著書『読史余論』の中で、この事件を「その事は残忍なりといえども、永く叡僧(比叡山の僧)の兇悪を除けり、是亦天下に功有事の一つ成べし」と肯定的に記しています。