魂の無い子供は、子供時代から残虐で有る。
子供の頃から、人の目を盗んで悪を犯している、弱い子を虐めて喜んでいる。
悪知恵が有り、大人には分からない様にやるのだ。
残虐性は、子供時代から教え無ければならない。残虐な話をハッピーエンドに変えたら、意味の無い話になる。その甘やかしが、図々しい悪を呼ぶ結果になるので有る。
残虐性を教え無い事により、弱い者が虐待を受け死んでいくので有る。仙人が教えた残酷な童話を歪めて、優しい物語にしては仙人が伝えたかった教訓を、伝えて無い事になる。仙人達が身を粉にして学んだ、経験と智慧を疎かにしてはバチが当たるので有る。血の教えだからだ。
残虐な話とは教訓そのものである。
人間には多面性がある。善人は善人、悪人は悪人としてはならない。善人でも表と裏がある。
善人は、その裏面を悩み苦しみもがき、葛藤する事で魂を削り、輝きに変えていくので有る。
悪人は、その裏面を持って悪意に変え、自分の苦しみを他に持って行こうとする。苦しみを他に与える事で、自分を満足させるのだ。その違いを教え無ければならないのだ。
美しい話ばかりでは、伝わらない。現実ではないからだ。
現実の醜さを、ありのまま伝える事が、現実を生きる事で有る。
悲しみと苦しみを、心の痛みを教える事は心の薬である。
苦い薬は、良く効く良薬である。
子供だからこそ、飲ませ無ければ成らない。
魂有る子供が、殺される前に。
魂有る子供が、犠牲になる前に。
魂有る子供が、残虐な扱いを受ける前に。
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