あんふにが本格的に絵を描きたいと思ったのが21歳の時、きっかけは大島弓子さんの「ダイエット」と言う漫画からでした、。それから大島弓子さんの世界に憧れて絵を描きたいと思ったのです。ストーリーも画風も全て、私の理想でした。
漫画家になりたかったのですが、私にはその力量は有りませんでした。しかし、イラストなら描けるかもと、自分のオリジナリティを模索し始めたのです。
あんふには自分のオリジナリティを模索する為に雑念を入れない生活がしたいと思ったので、一人暮らしをし、簡素な生活をしました。物の無い暮らしは私の理想でした。TVはもちろん有りません。画面を見ると絵が描けないからです。音が全く無いと寂しいのでCDラジカセは有りました。
あんふには誰に教わった訳でも無いけれど、自分の絵が描きたいなら心の声を聞かねばならないと理解していました。なので、雑念は入れたくなかったのです。
形が見えるまで6年の歳月が経ちました。そしてようやく投稿出来ると思い雑誌に投稿し始めたのです。当時は作品を発表出来る場所は雑誌のみでした。今の様に様々な媒体は有りませんでした。
初めて投稿したのが「詩とメルヘン」でした。96年の6月号に入選しましたが、それから毎月投稿し続け2003年頃まで頑張りましたが駄目でした。
もう一つの「MOE」にも毎月投稿していて、96年に入選する事が出来ました。こちらは39歳まで精神が病むまで頑張りましたが、駄目でした。
私が絵を描き続けた信念は修行だからと言う思いが有りました。成長させてくれていると思っていたからです。しかし思う様な絵が描けてもなしの礫でした。
誰かに習うのは嫌でした。私はずっと心の声を聞きながら
描いていたからです。でも、雑誌の中で、絵の学校に行かないと駄目なのかもしれないと思いお金を払ったものの、行くことはありませんでした。講談社が主催する学校でした。
尾崎豊の音楽と共に絵を描いたのは
16年程です。2002年に尾崎豊を集中して描いていた時期があって、この頃に目力の強い子がが生まれました。
私のCDラジカセにいつも現れてくれて、曲が勝手にリピートしたり、止まったりして曲の中でメッセージを伝えてくれていたので、本人の様な気持ちでしたが、確信は持てませんでした。
しかし、絵が描けなくなり精神を病んでからは聞けなくなりました。39歳になっていました。今から14年前になります。
そして14年の月日が流れ、環境が変わりタブレットで絵を描こうと思い立ち描き始めたら、またタブレットにメッセージが送られる様になったのです。何故尾崎豊だとわかったのは過去の経緯が有ったからです。
2002年アナログ作品尾崎豊を描く中で生まれたアナログ作品96年「MOE」入選作品96年6月号
「詩とメルヘン」入選作品
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