※文字はスルーして、画だけ観て頂ければ幸いです~♪
※当時、若者だった方々(現在7~80歳代)が、モータースポーツに興味を持つ切っ掛けになったと言われてます。そう~我々の大先輩方の大偉業ですね~♪
今から丁度60年前の1964(昭和39)年5月2日~3日
あの伝説の第二回日本グランプリ自動車レース大会が開催された
ワークス・ポルシェカレラ904GT-Sを猛追するプリンススカイラインGT!
※白)ポルシェ904GTS 青)プリンススカイラインGT 両車1/43scale
そしてカレラGT-Sを抜きさった!!!超カッケェ~~~~~!!!
第1回日本GP大会はどちらかと言えば、アマチュア主体の色が濃かったが、第二回大会からは国内自動車メーカーが真剣勝負を繰り広げるイベントとなった。
1964年5月2日と5月3日に鈴鹿サーキットにて決勝レースが行われた。正式名称は「第2回日本グランプリ自動車レース大会 (二輪含む)」
国内自動車メーカーのモータースポーツ活動が本格化し、此処からあの「スカイライン伝説」が誕生したレースとして、現在でも語りつがれている。
【※ポルシェ・カレラ904 ポルシェが開発したワークスレーシングカー。正式名称はポルシェ・カレラ904GTS(Porsche Carrera 904GTS )国際自動車連盟(FIA)のGT2クラスに合わせて作られ、1964年春にレースデビューした。ホモロゲーションを取得するため100台以上が生産され、市販もされた。】
【※ ホモロゲーション:「承認」や「認証」という意味で、ホモロゲーションモデルは、市販車ベースが基本。そのクルマを競技に参戦させる許可を得る為、開発・販売されたセミレーシングカー(改造車両車)のこと 】
※此方は1963(昭和38)年5月3日第一回日本GPの様子
ココで楽曲休憩※1963年。日本でも大ヒットしたお馴染み007エンディング
➡From Russia with Love (ロシアより愛をこめて) 2min40 ※1963年007/ロシアより愛をこめて。歌:マット・モンロー( 英国テレンス・エドワード・パーソンズ 生まれ、1930年12月1日– 1985年2月7日/享年56歳)
~👇~~~1964(昭和39)年 5月2日~3日開催~~~👇
【スカイライン伝説はココから始まった】 ※GT-Ⅱクラス決勝
スタートで1列目イン側(PP)から式場のポルシェ904カレラGTS(No1)が一気にトップにたった。その先行するポルシェを生沢のプリンススカイラインGT(No41)が激しいドリフト走行で追うという展開になった。7周目、式場はトライアンフ・TR4を周回遅れにしようとしたが、予測できないライン取りに戸惑い抜きあぐねた。・・続く・・
~~~~~👇~~~~~
GTカーカテゴリー一覧(4輪自動車4部門)
GT-I(1000cc以下)参加22台、予選21台、決勝21台、完走19台。ホンダ・S600勢が1〜4位独占となった。繰り上げ優勝のロニー・バックナムは同年のホンダF1初参戦のドライバーとなる。
GT-II(1001〜2000cc)※我らがスカイライン出場カテゴリー
参加36台、予選34台、決勝30台、完走20台プリンス・スカイラインGT7台、日産・フェアレディ14台ほか外国車が出場。式場壮吉のポルシェ・904がスカイラインGT勢を下して優勝した。7周目、生沢徹のスカイラインGTが式場を抜いて先頭に立った場面は、今大会のハイライトとなった。下へ続く・・⇩⇩
GT-III(2001cc以上)
参加7台、予選7台、決勝5台、完走4台国産車は出場せず、個人参加の外国車5台のみ出場。安田銀二のジャガー・Eタイプが独走し、完走した4位まで全車ジャガーだった。
フォーミュラカー
JAFトロフィー参加20台。海外招待選手がロータス、ブラバム、ローラなどの新旧FJマシンを持ち込む中、塩沢商工が日野の協力をえて製造した国産初のフォーミュラカー、デル・コンテッサ3台も出場した。※👆国産初の日野自動車フォーミュラーカー「デル・コンテッサ」
今ではトラックメーカーの大御所 ※昔は日野もレース活動していました。ドライバーは立原儀次選手 ※右端に白いレーシングスーツの「生沢徹選手」が確認できます。
~~~~~👆~~~~~
※プリンススカイラインGT-A市販車 ※スカイラインレーサーGT(砂子義一車)
・・続き➡生沢はその間隙を突き、ヘアピン手前の110Rで2台をまとめて抜いてトップに躍り出た。スカイラインGTがポルシェを従えてホームストレートに戻り「スカイラインGTがトップを奪いました」の場内アナウンスに、グランドスタンドの観客は総立ちとなり、大歓声が湧き上がった。
勿論年代的に見てないけど~想像するだけで~超絶カッケェ~~~ド!!~大和魂舐めんなよ!!!
しかし式場が翌周のスプーンカーブで生沢を抜き返すと独走態勢に持ち込み、そのまま1位でゴールを果たした。因みに、基本性能差はいかんともしがたく、ポルシェは後続に10秒差をつけて圧勝した。
【リザルト(結果) 】
1位ポルシェ904 GTS。 No1 式場壮吉
2位プリンス・スカイラインGT No39 砂子義一
3位 々 No41 生沢徹
※この第二回日本GPの開催から2年後の1966年にプリンスは日産と合併。
※プリンス時代からの車名が残るのは現在「スカイライン」だけである。
とのことなんですね。当時ワタシはハナたれのクソガキの頃の出来事です。勿論、日本国中に之が大きくニュースに取り上げられた事は知らなかった。
この偉業を知ったのが、十数年の時が経ってからだった。思えば車やオートバイに興味を持ちだした坊主頭のクソ中坊の頃だったように思います。
ちゃんちゃん~♪
それじゃまたね~♪おやすみなさい~(´艸`*)
ちゃんちゃん~♪
コメントを投稿するにはgooブログのログインが必要です。