3月29日はJR足尾線から第3セクターのわたらせ渓谷鐵道に転換し、わたらせ渓谷線(桐生〜間藤)が開業した日です。マリモが特別天然記念物になった日。東陽町〜西船橋間が開業し地下鉄東西線全通の日。立原道造の忌日。少し古いところでは、八百屋お七火あぶりになった日。坂本龍馬・お龍、高千穂峰に登頂の日でもあります。
皆さん おはようございます~♪
「29日も日本付近は高気圧に覆われるでしょう。 北海道や東北、北陸は一日を通して晴れそうです。 関東や東海は湿った空気が流れ込むため雲が広がりやすく、夜は沿岸部を中心に雨の降る所があるでしょう。 近畿と中国、四国はおおむね晴れそうです。」~との事で今日も春爛漫の一日になりそうですね~(´艸`*)
はい、本日3月29日も沢山の「何の日」がありました。今回はざっと見ていると知ってる事柄が沢山ありました。で、そこで今回は「八百屋お七の日」を取り上げてみますね。
この物語、其の物は皆さんもご存知だと思いますが、知れば知る程、切なくて哀れみさえ覚えます~(´;ω;`)ウゥゥ まぁ~事実かそうで無いかは別にして、当時お七さんは紛れもないうら若き純情な16歳の少女だった事に驚かされます・・
※八百屋の"恋するお七は当時16歳" この浮世絵は有名ですね。当時の歌舞伎の演目にもなった。
3月29日は『八百屋お七の日』
今から遡る事339年前の、1683天和3)年 3月29日、八百屋お七が鈴ヶ森刑場で火あぶりに処されました。『天和笑委集』によると、お七の家は天和の大火で焼け出され、正仙院に避難。寺での生活でお七は小姓・生田庄之介と恋仲に。そんな折、店が再建され一家は店に戻ることに。
※江戸時代の”八百屋”再現 ※クリナップ参照 ※「おぉ~い♪お七ちゃん~♪大根とごぼうおくれ~♪」ってな会話があったのかなぁ・・・
もう一度自宅が燃えれば、また庄之介がいる寺で暮らすことができると考え自分の家に放火したのでした。
幸いぼやで済みましたが、お七は放火の罪で捕縛されて”火炙り”に。歴史資料としては戸田茂睡『御当代記』の天和3年の項に「駒込のお七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と記されているに留まります。
『天和笑委集』に記される正仙院も定かでありませんが、文京区本駒込の吉祥寺がお七が避難した寺とされ、お七・吉三の比翼塚が築かれています。また文京区白山にお七の墓が残されています。
かなり古いTVドキメンタリー放送 放送年月日不明
⇨【TBSスパークル】1683年3月8日 八百屋お七 火炙り(天和3年)約1分30秒
そうなんだぁ・・・”ぼや” で済んだが”放火の大罪”で “火炙りの刑”に処されたのですね…考えてみれば、当時の住宅は ”木と紙(襖/障子)" で出来た家屋が殆ど。火が出れば江戸の町は瞬く間に消滅です・・・因みに江戸の庶民は、彼女の娘心を哀み、地蔵を祀ったとのことです。
「八百屋お七」の曲があったけど、今、丁度桜満開だからこれにした。八百屋じゃないけど・・考えてみれば当時も桜が満開だったろうまぁ・・そんな事想像しながら掲載したぜぇ~よろしく!!」⇨「夜桜お七」坂本冬美 約5分20秒
※これは余談ですが、江戸時代の平均初婚年齢は、男性が二五~二八歳、女性は一八~二四歳くらいです。 一七世紀から一九世紀にかけて男性ではニ歳、女性では三歳程度初婚年齢が上昇したそうです。
※江戸時代における江戸の火事は、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が残り、現代では「火災都市」と呼称されるほど、頻繁に発生した。 大火が頻発し、都市の広大な市街地を繰り返し焼き払った史実は、世界でも類例がないとされる。 江戸の火事は祝融や回禄とも呼ばれ、大火の様相を紅葉に見立てることもあった。※ウッキペディア参照
ちゃんちゃん~♪
と、言う事で今日も一日明るく元気に
そして笑顔でスタートしましょう~♪
よろしくです~♪
~Have a nice day~(^.^)/~~~
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