※スカイツリーから望む
【今夜は唐突ですが・・👉過ぎ去りし永遠の日々/coba/1994/HQ 4分40秒】
9月1日は「関東大震災の日」でした・・
クソガキの頃、関東大震災の事は祖父母の話で知ってはいた。まさか21世のこの時代にインターネットでこの様な映像が観れるとは思わなかった・・驚いた・・只々驚いた・・
【全編公開】1923年 関東大震災 直後の映像 お時間の取れる時にでも、是非ご鑑賞下さい。35分
※1923年(大正12)9月1日 ワタシの父方/母方の両祖父母は当時10~5歳位だと思います。
私が小学生の頃まで、実家は室内の模様替えが簡単に出来なかった。それはタンス、水屋、本棚などの大きな家具は全て釘で打ち付けられていた為です。そうなんです、地震で揺れて家具が倒れて来ないようにする為です。
実家は23区内なので、小学生の頃までは震災の話が時折出てきていました。勿論、両親はまだこの世に生まれていない時代の話ですから、親は震災の経験は有りません。それは祖父母の話。内容は地震の恐ろしさ、体験して目に飛び込んで来た記憶の話ですね。其れともう一つ。其れは防犯に備えての話でした。
先ず揺れたら「火を速攻で消す」「ガスの元菅を閉じる」「ブレーカーを落とす」「硝子の側に行かない(窓)」「家具の前から離れる」「窓や扉は開ける」「部屋の中央にいて揺れが収まるまで待つ」「テーブル/机の下に身を隠す」そして最後が「慌てない」でした。
今まで話の中で震災は知ってはいましたが、正直体験していないし、ガキの想像力ではなかなか理解できませんでした。この様に映像を観る事で改めてその恐ろしさや悲惨さを知りました・・それも、こんなに大きく成長したこの歳になってですよ・・・
(超爆受け馬鹿笑い!!!)👈~なんかコイツ見てるとムカついて来るわ・・(´-∀-`;)
【映像の中に台◯区浅〇と出てきますが、浅〇は母の生家になります。その浅〇の火事の話も母の母(私の祖母)から聞いていました。本当に怖かったと・・勿論家屋は全焼だったと言います・・それは父方も同じで、火は出なかったものの家屋は半壊だったそうです。でも不幸中の幸いと言うか、親戚縁者に誰一人亡くなったり重傷者は居なかったそうです。】
※【台東区浅草稜雲閣 当時の写真】 映像では3分前後に出てきます。1890年(明治23年)竣工。当時の日本で最も高い建築物であったが、1923年(大正12年)の関東大震災で半壊し解体された。 母の母(私のおばあちゃん)は当時10歳だったそうで、この稜雲閣が上の方から崩落する所を見たそうで、それを鮮明に覚えてると話してくれました。※今でいうスカイツリー的存在ですね。】
震災の在った1923(大正12)年は祖父母(父方/母方どちらも)はまだ若い頃で、どちらも少年少女時代だったそうです。勿論両親はこの世に生まれていませんね。※1912年(明治24/大正元年) 7月30日~1926(大正15/昭和元年)年12月25日
しかし、映像を見てて祖父母が若かかりし少年/少女時代の出来事なんだと思うと、なんか複雑な思いで言葉も出ないのが正直な所です・・・
※アントニオ猪木さんが気になります・・元気かなぁ・・
日本は過去に幾度の大震災で「廃」になり・・空襲で「廃」になり・・原爆で「廃」になり・・戦争で全ての物や人が「廃」になった・・それでもそんな苦難を乗り越えて「復興」して来た”秘めたる力が我々大和民族にはあります。その秘めたる”力”とは、自分も含め「家族の為/皆の為/人の役に立ちたい」という日本人のそうした理念が、そのパワーの”源”だと思っています。
其れ思うと、いまの腐れ切った”廃塗れの社会”もきっと良い方向に進んでくれると・・それを信じて頑張っていきたいですね。できれば、私が存命してるうちに其れをみたいなあ・・・
・・その前にゴミを一掃すると言う大仕事を我々国民が一丸となって取り組まないとね・・そう、我々にはそんな輩に唯一対抗できる手段があります。そう「選挙」と言う名の正義を示すための一票が。そう思いませんか?・・皆で騙され無い為にも一生懸命勉強しましょう!「勉強する事」それも我々の出来る立派な”世直し”だと信じています~♪
※今夜のおまけニャンコ
はい、今夜は99年前の「1923(大正12)9月1日」に発生した関東大震災に因んで、昔クソガキの私に祖父母が話をしてくれた、と言う”思いで話”でした~(´艸`*)
ちゃんちゃん~♪
其れでは皆さん~お疲れ様でした~それじゃまたね~♪Good night see you soon~♬
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