17時過ぎ、お目当ての「旧・閑谷学校(しずたに)」に到着。駐車場も随分余裕があり、幸い日陰になる樹の袂に駐車することに成功・・(^。^)
ここ「藩校・旧閑谷学校」と聞いてご存知の方も大勢居られることでしょう。寛文10年(1670)当時の備前藩主 池田光政が「庶民の栄えなくして国の栄えなし」という理念から創設された我が国初の「庶民の為の学校」だ。
元禄12年(1701年)光政の子「綱政」が完成させた「講堂」備前焼の瓦が美しい・・
「藩校(はんこう)」とは? 江戸時代、諸藩が設立した「教育機関」のことで、藩学ともいい、最古のものは1641年岡山藩主「池田光政」が設立した「花畠教場(はなばたけきょうじょう)」だが、その多くは、江戸時代後期に設立され、発展期には250校を数え、ほぼ全藩に作られていたと云う。 内容や規模は、藩によって様々だったが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させられ、庶民の子弟は原則的に入学できないことが多かったようだ。
講堂内 ピカピカの板の間 ここに静座すると身も心も引き締まりそう・・
また、江戸後期には、多くの藩が、財政的危機に直面し、藩政改革のための人材が必要になり、その人材を育成するために藩校を設立するケースもあった。 その為、藩士の忠誠心を養う人格教育から、富国強兵のための実学教育を目指すものも多くなったと言う。
代表的な藩校は、次のとおりです。
岡山藩:花畠教場(1641年設立) 最古の藩校米沢藩:興譲館(1697) 会津藩:日新館(1799) 長州藩:明倫館(1719) 熊本藩:時習館(1755) 薩摩藩:造士館(1773) 水戸藩:弘道館(1841)
上記「歴史用語辞典参照」
当時、学問は「藩士」の為だけのものとされていた。そう言った意味では、この庶民の為の「関谷学校」が創設されたのは当時の時代背景から見れば、凄く革新的な出来事だったのが伺える。 因みに、「藩校」は北は東北から南は沖縄(琉球)まであったそうだ。
※昭和40年(1965年)まで、現役だった木造の「岡山県立関谷高等学校」 現在「藩校・旧関谷学校資料館」として再利用
さて、ご自身の故郷が何処の「藩」で、どんな「藩校」が在った調べて見るのも楽しいかも知れませんね・・又、違った角度で故郷が見えてくるかも知れませんよ~ヾ(^^ )
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