2010年3月をもって 北広島町立大塚小学校が大朝小学校と統合の為「休校」した事は知ってはいたが、なかなか足を運ぶ機会がなく、先日やっと写真に収める事が出来た。
学校 沿革
今から138年前の明治7年、芟陋舎(さんろうしゃ)として開校、大塚市の円泉寺御堂を校舎とする。
昭和22年 学制改革にともない、大塚国民学校から大塚小学校と改称された。
昭和23現在の校舎である建物が落成、現在に至っている。それまでの校舎は明治20年、昭和22年と2度にわたって焼失している。
平成13年に地域と一緒に使う体育館として、屋内運動場が落成した。
前年度に、文教施設のインテリジェント化にともなうパイロットモデル事業の指定を受け、地域と共に研究ののち、建築・竣工の運びになった。
旧講堂は昭和37年の落成以来、38年間学校・地域の施設として活躍したが、老朽化が進み、平成12年お別れ会を行った後解体された。
本校は平成8年、大朝小学校と統合することがその数年前に決議されていた。しかし、PTAや地域の強い願いから、前年の12月議会にて存続が決議され現在に至っている。
・・・しかし驚いた~明治7年(1874年)開校だから、平成22年(2010年)の休校まで実に136年の歴史ある学校なのだ。
画像の木造校舎も昭和23年(1948年)落成、之もH22年(2010年)まで62年間現役だったのだ~
現在「休校」扱いだから、何時か子供達が一人でも帰ってきたらまた「再開校」してくれたらいいなぁ~と、切に願った。
今は休んでいる木造の「学び舎」だが、それでも優しく温かいオーラは放っていた・・
※ この画に映ってはいないが、格教室の外壁の窓の上に丸い穴が空いている。之は「石炭ストーブ」の煙突を通していた穴なのだ。
懐かしいなぁ~私も小学校低学年までだが、格教室に石炭ストーブがあったのを覚えている。
確か「日直当番」の人が、毎朝石炭を取りに行く役割だった。あの石炭を入れるブリキのバケツはここ数年見なくなったが~まだ、売ってるのかな?~あっははは~(^-^)