※表紙画:赤)メルセデスベンツ300SL 白)メルセデスベンツ300SLR 黒)専用トランスポーター 全て1/64scale
【副題:ル・マン・・少しマニアック】
👉『Talkin' Bout』(1988年 ル・マン24時間レース OP曲) 3分50秒
先日、”メルセデス・ベンツ300SL(1954)”のMC(1/64scale)を自室の机の上に並べて、何気に眺めてた。そう言えば、当時1954(昭和29)年、日本人でこの300SLを所有してたのは「夏木祐介・石原裕次郎・力道山」の3人だけだったらしい。勿論ワタシが生まれる前の話で、随分前に月刊カーグラフィックの特集記事で知った。
※石原裕次郎と1954年型ベンツ300SL。当時300SLは世界選手権レースで常勝マシンだった。因みに当時の市販車販売価格は、現在のレートだと”約2千500万~3千万円”くらいだそうです。
~~~~~ちゃんちゃん~♪
そして、もう一つ思い出したのが、来月6月「100周年記念の2023年ル・マン24Hレース」が開催される事だ・・※第一回が1923年開催だから今年で丁度100周年ですね。
【 ACOフランス西部自動車クラブは5月5日、6月10〜11日にフランスのサルト・サーキットで決勝レースを開催する2023年ル・マン24時間レースの暫定エントリーリストの更新版を発表】
※日本からは”トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパチーム”からカーNo7/8の二台エントリー。
※”トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ”のチームマーク
【ル・マン 24時間レース】
フランスのル・マン近郊で行われる四輪耐久レース。24時間でのサーキット周回数を競う。主催はフランス西部自動車クラブ(ACO)で世界耐久選手権(WEC)の1戦でもある。
※1952年ル・マン(⒛回大会)のスタートでマシンに駆け寄るドライバーたち。手前に写る”ベンツ300SLR”カーナンバー20が総合2位、隣のカーナンバー21が優勝することは、誰も予想していなかった。
※黒いトランスポーターが迫力あります。※赤) ベンツ300SL(市販車) 白) ベンツ300SLR(レーシング車)
~~~~~ちゃんちゃん~♪
【ル・マン24H耐久の歴史】
1923年に「ラッジウィットワース杯24時間耐久グランプリ」として初開催された歴史あるレースのひとつ。フォーミュラ1のモナコグランプリとアメリカのインディ500と並び「世界三大レース」の一つ。またデイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースと共に「世界三大耐久レース」とも呼ばれる
因みに第一回大会の優勝は、仏のアンドレ・ラガシェ/ルネ・レオナール組の ”シェナール&ウォルカー9号車”で2,209.536kmを平均92.064km/hまたは平均92.536km/hで走破した。
※第1回ルマンには33台が出走したが、ベルギーとイギリスから各1台の参加があった他はすべてフランス車だった。
※第一回優勝者 シェナール & ウォルカー9号車 MC scale不明 ※GooglePhoto参照
【シェナール & ウォルカー社(車製造会社)歴史】
鉄道技術者のE.シェナールと鉱山技術者のH.ウォーカーが共同で1901年に設立したフランスの自動車会社。1920年代にはフランス第4位のメーカーに成長。しかし経営難で1936年に破産、車体メーカーの傘下となる。第2次大戦後数年間はプジョー傘下で商用車を生産。
【1923(大正12)年 其の頃日本は・・ 】
【神戸初の百貨店として白木屋神戸出張所が開店。日本の百貨店で初めて土足で入店できるようにする。 徳島県鳴門市の区内観測所で42.5℃を観測。 日本で山本権兵衛が第22代内閣総理大臣に就任し、第2次山本内閣が発足。 (米国)ウォルト・ディズニー・カンパニー創立。 難波大助が裕仁親王(のちの昭和天皇)を狙撃した虎ノ門事件が発生。 ワシントン海軍軍縮条約に基づき、日本海軍の戦艦・三笠・・薩摩・安芸・香取・鹿島 ”巡洋戦艦”・生駒・鞍馬・伊吹・が除籍】
【日本車でルマン初の優勝は”MAZDA 787B”】
※チャージマツダ787B 1/64scale ※GooglePhotoより参照
1991年。第59回ルマン24時間レースで日本車で初の総合優勝を果たしたのは”マツダ787B”。車両重量830kgの軽量ボディに最高出力700PSの4ローターエンジンを搭載し総合優勝した。
1991年。第59回ルマン24時間レースで日本車で初の総合優勝を果たしたのは”マツダ787B”。車両重量830kgの軽量ボディに最高出力700PSの4ローターエンジンを搭載し総合優勝した。
~~~~~ちゃんちゃん~♪
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