オリパラ事務局
廃棄あった
大会関係者向け弁当
大量廃棄
先日
台風の影響も在って
強風で
飛ばされてきた腰巻の様な
婆色した布が
我の家のベランダに
ありました(笑)
何処となく懐かしい
此の布切れ
そー言えば
ばあちゃんちに
乾してあったのと
同じじゃん?コレ
みたいな(笑)
腰巻ってさ~
室町~江戸時代で言う
パンツな様なモノで
婦女用の夏の礼服
腰から下に巻き付けた絹
上階のヤツかな??
まぁイイんだけど
今迄にも我が家には
色んなモノが
飛散して来ます
当然の事乍ら私の私物も
飛ばされます
序でに好意で
投げて飛ばす事も(笑)
隣住人の
年甲斐もない派手な
パンツも飛んで来ます
隣のは返します
つーか取りに来るから
問題無いんですが
この隣住人のパンツ
異様なオーラを
放っていますが
神々しくも危険過ぎる猛毒
つーか
此の穴は何だろと
大きな謎が残りますが
此の腰巻は
どうしよっか・・
パンツの
ルーツとなる半衿
(はんえり)は
若い娘は鹿の子絞りや
刺繍の入った赤色
中年以上は浅黄や紫や
茶色(婆色)
という事は
中年のオバちゃんの
モノだよね
現世でも
パンツ穿かない代わりに
巻きスカートの様な
湯巻?腰巻?
腰に巻き付けて
此の腰巻がパンツの起源
衣装の上に巻くモノなので
今のパンツとは形も違うし
用途も異なるワケです(笑)
令和になる時代に
そんなモノが何故・・
ばあちゃんは
そういえば
ノーパンだったな(爆)
パンツとかを
穿く風習が無い時代を
引き継いでる?
私はパンツを穿かないと
股の部分がスカスカして
落ち着きませんが
ただ穿かないのが
当たり前の
ばあちゃんだから?
特に不快には
感じてないだろうね
そんなパンツは
昭和初期になって
漸く普及し
日本人がパンツを
初めて手にしたのは
武将の豊臣秀吉です
南蛮貿易で
献上された品物の中に
女性用のパンツが
入ってましたが
当時の日本人には
馴染みの無いパンツ
此処で普及する事は
無かった為
秀吉の側室の淀殿が使った
とか
秀吉自身がパンツを被った
という記録も
残っていませんが(笑)
こうして
着物を着て
パンツを穿く風習が
無いのが
当たり前だった昭和初期
トイレ時に不便とか
パンツの線が
露出する事が理由で
依って戦後に
洋装が広まって
漸くパンツが普及し
パンツはまだ
100年も経過して無く
歴史が浅いんだって(笑)
歴史が浅いとはいっても
洋服の普及に伴い
パンツも素早く浸透し
今では誰でも
パンツを穿くのが
当たり前っすね
出来るだけで
肌触りの良いモノを
局部に充てがうと
嬉しうざんす
洋服の普及と共に
漸く我が國の用途に
合わせた色んな種類の
パンツ歴史が始まるのです
前置きが
長くなりましたが?
皆!!
そんな大事なパンツ!!
ちゃんと穿いて
生活してる?
穿いた気に
なってるだけじゃない?
確認してみた?
なんつーの?
話は変わって
昨日すげぇ寝てて
もしかして起きたら
18XX年とか
江戸時代かも
しれないよっ!
っつーくらい
よく寝てて(笑)
つーか江戸時代は
1603年~1868年
と約260年も
続いたワケです
何故260年も続いたって?
聞く??
語れば
長くなっちゃうよ??
私はパンツの事と
腰巻の話をしたいんですが
まぁ要約すれば
江戸幕府が
幕藩体制を支える為
色々と努力をしたからに
決まってんでしょ?
な感じで
モサ~っと寝惚けてて
凄いガス臭い事に気が付き
やべぇヤベぇ!!
ガス漏れ!
なんつって飛び起きたら
自分のオラナ臭でした(爆)
まさか私でもね
朝っぱらから
フェロモンとかね
出せとかね
無理言わないです
それでも
いつ何時も出せるモノは
出しとけ~
みたいなっつーのはね
持ち合わせてたつもり
でも
まさかね
こんな朝っぱらから
何食わぬ顔して
オナラの匂いで
目覚めるとは
思わなかったです
あっ!!
動画のね
其れに対しての
コメントというか
すっかりパンツの事で
頭がイッパイで
忘れてました(爆)
つーか生きる為に
必要な食い物捨てる
ってどうなん?
コロナで収入が
減っとって
生活に困ってとる奴等や
仕事さえ
失ってる此の御時世に
考えられん事を
やらかしてるね
何なら配給するとか
そうゆう思考とか無いの?
って此の記事を
Yahoo!で朝見ましたケド
ちょっと可笑しいな~
と言いたいですね
都心では
首都高の値段増し
とか変なトコから
回収してますけど(笑)
まぁ其れとは全く
別の話で
私のパンツが
何故か減ってる気が
するんです・・
廃忘怪顛
(はいもう けでん)
激しく驚き慌て騒ぎ立てる