(画像はイメージで当記事とは無関係です)
1960年代、
俺はこの世には生存していなかった。
しかし、
この時代に生きた人は、
あちこちで喫茶店が出来て
カフェブームとなったことを教えてくれた。
西田佐知子(🤔)の『コーヒー・ルンバ』が流行り、
お客は堂々とタバコ🚬をふかしてサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたとのこと。
この時代に、
琥珀屋敷(こはくやしき)という喫茶店が誕生した。
琥珀屋敷のマスターは高卒の10代。
なのにアイディア勝負で常に他店に勝利していた🏆
中でも、
カレーのルーに生卵の黄身を混ぜて提供したカレーライスは大人気やったという。
しかし、
琥珀屋敷のマスターは、
金の価値を太陽の輝きに等しいと思い込んでいたので、
お客には粗塩対応していた。
なのにたくさんの常連客を作る。
また琥珀屋敷は、
店員を身内でかためた親族経営であったことも、
人件費削減で富を得ている🉐
1970年代、
ガロかゲロか忘れたが『学生街の喫茶店』とかいうフォークソング(🤔)が流行り、
客層はサラリーマンから学生が主流になった。
琥珀屋敷(こはくやしき)でも、
学生が集まり、
共産革命についての議論を闘わせ、
琥珀屋敷のマスターは、
店内に粘れば20分ごとに50円の残留代を取った。
1970年代後半、
インベーダーゲーム🎮が流行。
学生運動が鎮圧されて不景気漂う喫茶店街は、
インベーダーゲーム機を店内にたくさん置き、
1ゲーム300円取ることで、
たくさんの子供の懐を凍らせた。
レフティはいちいち喫茶店に行かなくてもスマホ📱ですればいいじゃないかと言うけど、
レフティ、
この時代にスマホ📱はまだ無かったんや。
ゲーセンも少ない(ゲーセンは1980年代から黄金期となったという)。
やから、
子供は仕方なく、
1ゲーム300円のインベーダーゲームをする。
一度でやめればエエもんを何度もするから、
インベーダーゲーム破産を経験した子供が多かったという。
琥珀屋敷(こはくやしき)はいち早くインベーダーゲーム機を他店より多く取り入れ、
店内ぎゅうぎゅう状態やったらしい。
インベーダーゲーム収入を第一にした琥珀屋敷は、
飲食を求める客には立ち食いもしくは立ち飲みを求めた。
1980年代にインベーダーゲームの流行が終わり、
子供の姿が喫茶店から消える。
ゲーセンの乱立からファミコンが登場することで、
ゲームという仮想空間が1970年代生まれの子供達の心を支配する。
琥珀屋敷(こはくやしき)は、
モーニングとランチサービスに力を入れ出し、
マスターのアイディアメニューが多くの顧客を喜ばせた。
1980年代後半から1990年代の頭に、
バブル景気と呼ばれる、
日本経済を黄金色に染める時代がやってきた。
当時20代のモーさんは、
フレッシュマンやったけど、
失敗が多く、
昭和から平成初期には当たり前の、
上司の怒鳴り声に、
中耳炎になってしまった。
そのモーさんが初めて琥珀屋敷(こはくやしき)に来た。
美味しい上にアイディアメニューのランチに客が群がっていた。
琥珀屋敷の近くには、
のびたラーメンを提供する中華料理店、
店主がケチ臭いあまり塩気をがほとんどないうどん屋、
火を通すことさえ面倒くさいとほとんど生のタマネギの炒め物しか出さない喫茶店しかなく、
やから必然的に琥珀屋敷に行くことになる。
琥珀屋敷はランチタイムは、
カウンターはぎゅうぎゅう詰め、
テーブルは相席が当たり前。
そしてランチが出されたら20分以内に食わないと残留代50円が請求されるシステムやった。
とにかくバブル景気の中での忙しさ。
マスターの70代のばあちゃんは、
あまりの疲労に、
店の前の側溝にゲロを吐いてたという。
そんなばあちゃんの横から客は次々に店内に入る。
モーさんはどんなに粗塩対応されても毎日来るので、
マスターの配慮で、
普通の客が満席で入れない時も、
床に新聞紙を敷いてモーさんを座らせて、
ランチを食わせてくれたという。
1990年代中盤から2000年にかけて、
バブル崩壊と未曾有の不景気に日本国内はさらされた。
その時から、
琥珀屋敷(こはくやしき)から客が消えた。
琥珀屋敷周辺に格安レストランやコンビニが乱立、
スタバまで数軒出来た。
琥珀屋敷のマスターはどんなに知恵を絞っても、
今回だけは、
時代の流れに敗れ去った。
しかしモーさんは琥珀屋敷に通い続けた。
そのため、
琥珀屋敷のマスターは、
少しずつモーさんを大切にし始めた。
20分の残留50円システムも撤廃され、
マスターに優遇されたモーさんは、
ランチタイム時に、
他の客よりもブロッコリー🥦がひとつ多めに入ってたり、
サラダのプチトマトがひとつ多めに入ってたりと、
琥珀屋敷のサービスを受けることになった。
そんなモーさんも会社を辞めることになり、
他の地に引っ越さなければならなくなった。
モーさんはそのことを琥珀屋敷のマスターに伝えると、
マスターはモーさんの手を握り、
「このまま時が止まればいい。常連客が減らないから」と言った。
モーさんは30代になっていたが、
マスターは50代を迎えていた。
そして15年が経過して、
2015年を迎えた。
久しぶりにモーさんが琥珀屋敷(こはくやしき)に入った。
ところが店内に入ってモーさんにガク(愕)😱が入った❗️
アンと、
95歳まで生きたマスターのばあちゃんが亡くなったということで、
店の奥で祭壇が設けられ、
寺の坊主によって葬儀が行われていた。
モーさんが帰ろうとすると、
喪服姿のマスターが来て、
「お店はやっておりますのでばあちゃんにお焼香してランチを注文されてください」と泣きながら言った😭
他の親族従業員が泣きながら😭モーさんを祭壇に呼び寄せた。
その際、
香典袋をモーさんに渡したのでモーさんは5000円ほど包んだ。
そしてお焼香を済ませたモーさんがカウンターに座ると、
マスターは泣きながら😭
「本日のランチは精進料理になっております」と言った。
モーさんは、
坊主の読経と親族のすすり泣きの中、
ランチの精進料理を食べた。
再びモーさんは他の地に行き、
10年後の2025年、
ズバリ昨日に琥珀屋敷(こはくやしき)に行こうとしたらしかった。
が、
琥珀屋敷のあったところにはスタバが建っていた。
モーさんがスタバに入り、
様変わりした店内を見回していた時に、
ある連絡事項が書かれたメモが貼り付けられていたことに気づいた。
それは、
モーさんがもしこの店に現れた時は店長に連絡してくださいという旨のものやった。
モーさんが名乗り出ると、
店長は古くなった封書を持ってきてモーさんに渡した。
琥珀屋敷のマスターからのメッセージやった。
それにはこう書かれていた、
「人生は辛くて悔しいもの。けど生きることを受け入れた時にあなたは時代の輝きを目にすることでしょう」
モーさんは、
自分が20代に琥珀屋敷に来て、
こんにちまでのことをゆっくりと思い出した。
本当に辛かった!
本当に悔しかった!
そして、
本当に時代は輝いていた!!