或いは、氷室京介のラストギグスが終わったとしても、
俺は何も言葉にはしないだろうなと思っていた。
何故なら、言葉にならない程、
そこに余裕は存在しないだろうなと思うし、
或いは上等なブロガーを気取るモノとして言葉を選ぶ程に、
その人の生き様の前では、全てが陳腐になるだけだろうし。
そんな風に感じていた先日の日曜日の午後、
田家秀樹氏のブログで綴られた、、、
「身震いがします」という感傷の言葉。
http://takehideki.exblog.jp/23145519/
当方、今回のツアーは、東京ドームからの参戦となるわけだが、
その3daysを前にした福岡で、
或いは、いよいよか・・・と、思わせるような、
まさに、「東京ドームはどうなるんだろう」と感じる序章が出来上がってしまったのだ。
それは全てのベクトルが、最後の3daysに集約してしまったという、
まるで同じ風向きに身を任せていた水面(みなも)の花弁が、
激しい風に煽られて、別様の彩りを描くように、
東京ドーム以前の全てが、前哨戦にへと変化してしまったとも言える、
そんな福岡ヤフードーム5.14が映し出したイントロダクションだった。
今回のラストギグス・ドームツアー全てを制覇している人ならば、
徐々に近づくフィニッシュに向けての変化を、どことなく感じたかも知れない。
しかしそれは、グラデーションを見るかのように、
或いは違和感のように見える変化として、、まさにどことなく、
それぞれの会場にあった空気を嗅ぎ取ったかも知れないだろう。
しかし、東京ドーム3DAYSからの参加組は、
いきなりその変貌を、まず、初日に見せられる事となるかも知れないのだ。
先日の記事で「覚悟の時」と書いては見たが、
或いは本当に持たなければならないモノとは覚悟ではなく、
狂おしく踊る精神を収める為のモノだなんて、
決して戯言だけでは済まない、そんな身構えがあるのではないだろうか。
言葉にならない程の気高さが存在したのだと、
一つの時代に敬服するとするなら、
人は確実に訪れるであろう厳かな未来の日を見据えた時に、、、
或いは、言葉に出来る今に、
感謝の意を伝えるのも、一つの方法論なのかも知れない。
そう、
それが今しか出来ないことであるのだと、
震え上がる己の身が、そう教えているのだとするならば、
言葉に出来る今、
その人にありがとうとだけ伝えたいのだから。
ヒムロック。
貴方がくれた刹那色の季節は、
俺にとって、かけがえのないモノでした。
ヒムロック。本当に、ありがとう。