1979年、語り継がれる広島-近鉄の日本シリーズ
今も伝説として語られる「江夏の21球」。1979年の日本シリーズ、広島-近鉄で、3勝3敗で迎えた第7戦、両チームにとって初の日本一のかかった9回裏にドラマがあった。1死満塁で広島・江夏豊氏は元近鉄・石渡茂氏に対しての2球目、スクイズを見破った。遊撃手として見ていた広島のレジェンド・高橋慶彦氏は江夏氏があの局面で見せた正確無比のコントロールに今も衝撃を受けている。
満塁になり、遊撃・高橋氏は極度の緊張に襲われた。当時は22歳なのだから無理もない。4-3と1点のリードも一打サヨナラの大ピンチ。「飛んで来ないで欲しい」とずっと祈っていた。
百戦錬磨の江夏氏はマウンドで落ち着いていた。石渡氏に対して、初球をカーブでストライクを取った。そして、2球目。近鉄ベンチは動いた。三塁走者がスタートを切る。広島・水沼四郎捕手はウエストの指示は出していなかったが、外そうと立ち上がった。そして、江夏氏はバットが届かないところへ、ボールを外した。
「江夏さんはカーブだけなく、右打者のアウトローの直球のコントロールもとにかくすごかった。前の球と同じコースなんじゃないかと思うことが何度もあった。当時のカープのピッチャーは、みんなコントロールが良かった。大野豊さんも池谷公二郎さんもペー(北別府学)も。後から見ていて、楽しかった」
正確無比なコントロールも積み重ねた投球数があったから。その中のボール球は、無駄だと一言で片付けることはできない。目指すところへ到達するために必要な“遠回り”だってある。野球には無駄の必要性がある――。