令和ザコ伝説


ありふれた 日常 から。。。。。。

#Diva 本田美奈子

2023-04-11 09:44:00 | 日記
本名、工藤 美奈子(くどう みなこ)。 身長:162 cm、体重:43 kg、B:74 cm、W:56 cm、H:76 cm。血液型はO型。1985年、シングル「殺意のバカンス」で歌手としてデビュー。1980年代はアイドル歌手として、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦する。なお、姓名判断により名前の後に「.」をつけ改名したのは2004年11月。

手になることを夢見ていた母親の影響で、美奈子も幼い頃からいつも歌を歌っていた。朝霞市立朝霞第六小学校の卒業文集にも「女優か歌手になれたらイイ」と書いていた。朝霞市立朝霞第一中学校3年生の時に『スター誕生!』のオーディションを受けた。14歳で出場したテレビ予選では柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」を歌い、合格して決戦大会へ進出した。この時の出場者の5人の中には松本明子と徳永英明がおり、3人とも決戦大会へ進んでいる。15歳を迎えて出場した決戦大会では松田聖子の「ブルーエンジェル」を歌った。しかし、プロダクションは1社も獲得意思を示さず落選となった



1986年(昭和61年)2月5日に「1986年のマリリン」をリリース。へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出と相俟って大ヒットとなった。


990年(平成2年)、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。1992年(平成4年)5月5日『ミス・サイゴン』日本初演。以来一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力が高く評価された。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞



1998年(平成10年)にはエイズチャリティーコンサートで「ある晴れた日に」(プッチーニのオペラ『蝶々夫人』より)を歌い、2000年(平成12年)3月20日サリン事件チャリティーコンサートではラフマニノフの「ヴォカリーズ」を歌った。同年6月19日シドニーオリンピックを記念して開かれたシドニーのオペラハウスでの日豪親善コンサートに服部克久の推薦により出演した際には「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」や「ある晴れた日に」を歌うなど、この頃から次第にクラシックへの志向を強めていた。

2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。そんな中11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサート、暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。 翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された。 その後、2度に亘る化学療法を受けるが、寛解は得られなかった。




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