日本の河川堤防は集中豪雨に耐えられない 堤防を信用してはならない。いつか壊れる

日本の堤防の99.9%は「時代遅れ」のままだ | 災害・事件・裁判 | 東洋経済 ...

日本の河川堤防は集中豪雨に耐えられない

元国交省河川局長が明かす「不適切な事情」

昨年9月の鬼怒川大水害は記憶に新しい。今年は欧州などから洪水被害のニュースも伝わって いる。しかし、今年の関東地方ではこれまで「空梅雨」の感が強く、16日には首都圏の水源である利根川水系で、3年ぶりの10%取水制限が実施に移され た。こうした読みにくい状況の中、かつて国土交通省の河川局長として治水政策を担った竹村公太郎氏(日本水フォーラム代表理事)に、日本の国土が抱える構 造的な問題点について聞いた。

――利根川の取水制限について。

10%程度の取水制限が持つ意味合いは実のところ、「皆さん気をつけてね」というアナウンス効果にある。全然深刻ではない。ただ、この空梅雨が7月まで続いて明けてしまったら、8月はえらいことになる。現在は結構、きわどいところにいる。

だが、渇水の場合はどうにか凌げる。それに現在の利水計画は「10年に1回のレベルの渇水」までは耐えられる想定でなされている。そこまでのレベル ならばダムから水を補給して対応可能だ。だが、そういう想定をしているということは、10年のうち残りの9年は水が余りがちだ、ということでもある。

逆に洪水が起きれば決定的なダメージは避けられない。このため、100年に1回レベルの洪水が起きても対応可能にしよう、という風に、渇水よりも洪水に対する警戒意識の方を高めにしている。

過去のデータは通用しない

――確かに近年の気候変動の落差は激しい。一転して6月下旬に豪雨が起きる可能性もある?

本当にひと晩で状況は変わってしまう。いつ、どこで何が起きるか予測できない。予測できないということは、気象が確実に凶暴化しているということだ。われわれの過去のデータが効かなくなっている。

異常気象の理由をあえて挙げれば温暖化なのかもしれないが、実際に過去100年間の降水量データを見ても、振れ幅は確実に大きくなっている。

これ以外にも、たとえば厳島神社の神官の日誌によると、1990年代に年0〜4回だった回廊の冠水回数は、2001~06年には年7〜22回へと急増している。

こうした状況だが、ダムや洪水に関する各省の計画の前提は昭和40〜50年代に決まって以降、変更されていない。つまり、計画はいまだに、大正期か ら昭和30年代ごろまでの古い統計に基づいたままなのだ。これは当時、客観的にやるために「過去のデータ」しか使えなかったためだ。「失敗したわけではな いが、適切ではない」と言うべきだろう。

練り直しは財政的に不可能

――いくら何でも、それでは実態に即さないのでは。最近のデータを基に計画の想定を変えようという動きはないのか。

ない。エンドレスになってしまうから。 昭和30年代ごろまでのデータに基づいて100年に1度の洪水に対応できるよう計画を立てているわけだが、仮に気象変動が激化した後の2010年までのデータを基準にしてしまうと、インフラなどのハード整備はすべてやり直しになる。

われわれはそれをやらないと宣言した。気象が凶暴化して安全率が下がったとしても、財政的にできこっないと分かっているから。情報伝達による注意喚起を進めるなど、ソフト面を中心に対処するしかない。

――だが、東日本大震災などで国民の意識も変化しているのでは?

確かに東日本大震災以降、日本人の災害への意識が変わってきたのも事実。マスコミは治水事業にずっとアンチだったけど、あれでガラリと変わった。現在では毎年3月11日ごろになると、テレビが年ごとにテーマを定め、当時の鮮明な映像を使った番組を流すから。

それまでは台風の写真などが残っていても何度もリマインドして使うわけにもいかず、地震も揺れている最中をとらえるのは難しいから意外に映像になりにくかった。でも、津波の映像を見てみんな自然のおっかなさを認識した。それでも、やはり、意識自体を変えることは難しい。

――以前の寄稿では、日本各地の堤防は江戸時代に作られたものが多く、どこでも決壊が起こりうると指摘した。特に危ない地域があるとしたら?

 ほとんどすべてだ。明治以降に開拓が進んだ北海道を除くと、日本の堤防の99.9%は江戸時代に作られたものだから。戦乱が落ち着いて平和になり、稲作を進めるなどの目的で各地の「ヤマタノオロチ」のような複雑な分岐を見せていた川を強引に一本に押し込めたりした

 面白いのは堤防の作り方。たとえば江戸では、北東部に幾つかの堤から成る巨大な遊水池を作ったが、最初にできた「日本堤」の先には、日本橋の近く にあった遊郭を移転させて「新吉原」にした。江戸は当時、女性が完全に足りなかったから、男たちは堂々とこの道を通って行った。堤を知らず知らず踏み固め ていたわけだ。その光景は歌川広重の「よし原日本堤」という絵に描かれている。

また、遊水池のもう一方を形成した「隅田堤」では桜を植えて花見の名所にしたり、堤の先に料亭や芝居小屋を集めて人が踏みしめるようにした。これに 限らず先人たちは、堤防を築いたらその近くに神社を作ったり、お祭りをやらせるなどの工夫をした。ものを作るのは権力かもしれないが、守るのは庶民という のが、治水の原則だった。

――そうした工夫を現代に蘇らせることは?

できないね。公共的な仕事をみんな行政に押し付けちゃったから現在の治水の原則は堤防を強化するとともに、水位を下げること。荒川放水路は現在の 隅田川の水位を下げるための装置だし、ダムや川幅の改修も増水の際に水位を下げるのが目的。つまり堤防を信用してはならない。いつか壊れる、という発想 だ。

壊れないといえば嘘になる。こんなことを露骨に言えるのは十数年前に退官したから。現役の河川局長が国会で「堤防なんか信用しちゃいけない」なんて言ったら「ふざけんじゃない」となっちゃう(笑)。

でも、現役の人々がやっていることを否定するわけではない。みな内心では堤防が危ないと思っているから補強したり、水位を下げるためダムや貯水池を 作っている。仕事を創り出したいからやってるのではない。江戸時代に99.9%作られた堤防を引き継いだから、補強しようとしているのだ。

息の長い「撤退戦」しかない

江戸時代に稲作面積を広げるため堤防を作りまくった結果、日本人の大半は、もともと湿地だったところに大都市を作って住むようになった。こんな先進 国は他にない。現状では、人口の半分と資産の75%が、国土の10%しかない「洪水氾濫区域」(洪水時の河川水位より地盤の低い区域)に集中している。

こうした状況を踏まえ、個人的には、国土のあり方を少し昔に戻す「撤退戦」を主張している。民間の側から見たら現在の不動産開発は資本活用のために は仕方ないのかもしれないが、安全を守るわれわれの側からすれば、せめて本当に危ないところには住まないようにする必要があるという理屈だ。10〜20年 ではなく、300年くらいのオーダーで。

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