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アパ社長カレー」開発やプール命名権など話題 アパグループのアイデアマン、元谷拓専務

 

「アパ社長カレー」開発やプール命名権など話題 アパグループのアイデアマン、元谷拓専務 TOKYOまち・ひと物語

「常に勇敢に立ち向かうため、工夫し、勉強して進化させないといけない」。創業以来52期連続黒字、国内894のホテルを手掛けるアパグループ(東京都港区)の創業一族で専務、元谷拓さん(49)は、強者ぞろいの一族にあって、「アパ社長カレー」などの企画力と、人の役に立つという精神を発揮して経営の一角を担う。会社、社会、未来のため、縁の下で同グループを支えている。

創業者で現グループ会長の元谷外志雄さんと、「私が社長です」でおなじみのアパホテル(同区)社長、芙美子さんの次男として生まれた拓さん。当時最年少の大学1年で宅地建物取引士に合格し銀行へ就職、その後25歳で同社へ入社した。アパグループ最高経営責任者(CEO)を務める兄、一志さんとともにホテルのほかレストラン、リゾート、ゴルフ場、不動産、出版などを展開する同社を牽引している。

「自分にしかできないこともある。誰かのお役に立てるように動いている」。客室内に置かれている月刊誌「Apple Town」の編集、営業などを担当するほか、有名企業とのコラボレーションによる話題づくりや収益アップに奔走している。

人気の高い「アパ社長カレー」も拓さんのアイデアだ。グループのレストランの味を統一しようと業務用カレーを作る中で、生まれたレトルト食品。外志雄さんの鶴の一声もあり、アパホテルの「顔」である芙美子さんの写真と「アパ社長」の名称を使い、平成23年3月に発表した。同月発生した東日本大震災では、救援物資集積所だった宮城県消防学校へ寄付。賞味期限が2年と長期で、温めずに食べることも可能な同商品は復興支援、社会貢献活動の側面も持った。

 

今年4月には累計1111万食を突破、郵便局で販売されたり企業の社員食堂で提供されたりと今やアパブランドの広告塔だ。9月にはサッカー日本代表のオフィシャルカレーにも指定された。「金沢カレー」が有名な石川県出身として、「おいしいカレーを作った」と自負もある。

人と人をつなぐ

日頃から「人と人をつなぐ」が天命と自任する。「バスロマンプール」など入浴剤や清涼飲料水などの名前がつき、底にロゴや商品が描かれたプールが現在9カ所あるが、このネーミングライツ(命名権)も人助けがきっかけで生まれた。

買収した赤字ホテルの経営改善策。同社へは経営難などの「お困り物件」が多く寄せられる。「諦めたり人のせいにしたりする仕事観ではなく、どうやったらよみがえるか、人の役に立てるか」と知恵を絞る。

「利益を追求すればいいという時代は終わった。グッドカンパニーを目指す中で、社会貢献活動担当大臣のつもりで日々活動している」。チャリティーオークションも毎年主催。また、滞在時間の長いホテルの責任として、社員らへの救命講習受講を提案し、3000人以上が業務の一環として受講した。

 

逃げも隠れも…

一族全員が顔を表に出すのは「逃げも隠れもせず、責任の所在を明確にする」ためだという。「コロナ禍には療養施設として77棟を貸し出すなど『侍スピリット』も発揮。苦しいときもしっかり前を向き、逃げずに対応してきた」

ビジネス客からファミリー、外国人まで「全てのカテゴリー、シーンの受け皿」となったアパホテル。その中でも拓さんが特に大切にするのはキッズファーストだ。「未来を作るのは子供たち。子供たちにも喜んでもらえるホテルを」と、芙美子さんがパッケージとなったうまい棒を作り配布するなど楽しい思い出になるような企画にも余念がない。

アパホテル第1号が昭和59年12月に石川県に開業してから今月で40年を迎えた。「突然ホテルをやりだしたが、まさかここまで大きくなるとは」と当時9歳だった拓さん。

ホテルが建つことは地域の治安の改善や繁栄につながる。「社会貢献度が高い建物。それをゼロから作ったり、立ち行かなくなったものを再生したりするのは、すごくすてきなこと」だと、休みもいらないほど仕事に充実している。

 

「現状維持では衰退していく」。「運と縁と恩を大切に」しながら、父が付けた「拓」の名の通り、道なき道を切り拓き続ける。(鈴木美帆)

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