今から100年ほど前、日本に亡命していた韓国の改革派志士、金玉均(キムオッキュン)(1851~94年)が上海で韓国朝廷が送り込んだ刺客によって暗殺された。日本は遺体の日本送還を要求したが清(中国)は韓国に送った。遺体は反逆者として韓国で切断されさらし首になった。この事件は日清戦争(94~95年)の原因の一つになったといわれるが、来年は金玉均の死および日清戦争がともに130年を迎える。
金玉均は福沢諭吉の支援を得ていたことで有名だ。日本の明治維新をモデルに近代化革命を目指しクーデターを企てたが、あてにした日本の支援がなく、逆に清が守旧派の朝廷を支援したため失敗する(84年、甲申政変)。
歴史的に見ると日本の朝鮮半島へのかかわり方は微妙で危うい。現在も南北分断・対立の産物である北朝鮮の存在は火種になっている。かかわり方によっては中国との衝突になりかねない。歴史的経験でいえば日本にとって朝鮮半島への軍事的かかわり方はいつも危ういのだが、その〝鬼門〟を踏まえた上で新しい関係を考えてみたい。
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世界史用語解説 授業と学習のヒント
朝鮮王朝の開化派(独立党)の指導者。日本にならって改革を進めようと1884年、甲申政変のクーデタを実行したが、失敗し日本に亡命。日清戦争直前に閔妃政権によって暗殺された。・・・