ダム候補地になる集落は、ダムができなくとも住民が逃げ出して消滅します
 

ダム拒否した集落から消滅した

今から10年前くらいまでダム建設反対を唱える「反ダム運動」や大型モール反対を唱える「反大型店」が大ブームでした。

現在は反原発や反米軍基地がブームですが、過去のブームを知れば将来が予測できるかも知れません。

反ダム運動とはダム建設を推進しようとした政府に、故郷の村が消えるとして各地で反対運動が起きました。


ダム建設にはきっかけがあり、1959年伊勢湾台風は死者5千名以上、浸水や流された家屋は数数万戸に達した。

東日本大震災の死者は約1万5,700人だったが、連続台風によって巨大地震並みの被害が出た。

1950年代から60年代は大型台風の被害が多発し、1961年の第2室戸台風でも200名以上の死者を出しました。


台風は地震より局地的な被害は少ないが、日本列島を縦断するので沖縄から東北、北海道まで被害が及んだ。

被害が拡大したのは戦争とGHQ統治で災害防止工事が止まっていたからで、ダムなどの建設工事をする機運が高まった。

こうしたタイミングで登場したのが「土建屋宰相」の田中角栄で、並外れた才能を示し1972年総理大臣になった。


田中は総理になる前と総理を辞任後も強い影響力があったので、60年代後半から87年の中曽根内閣までが実際の田中時代だった。

田中角栄は日本列島改造を唱えて大規模公共事業を行い、その一つがダム建設でした。

上越・東北・九州・北陸新幹線や地方の高速道路は全て田中角栄が指示して建設したもので、田中が居なかったらこれらは無かった。


ダムを受け入れた集落には膨大な投資が行われ、電力や水資源保護、防災、観光などの職場が産まれた

ダム受け入れた集落は存続

時代は替わり90年代になると「公共事業悪玉論」が台頭し、日本が悪いのはすべて公共事業のせいだという空気になった。

空気に正体はないが、マスコミや学者がみんなそう言うので日本ではあらゆる公共事業が批判され工事停止した。

高速道路も新幹線も原発も港湾も空港も新規建設は行わなくなり、当然の結果として日本経済は衰退した。


日本中のダム建設も中止されたが、最近また地球温暖化で大型台風が増え、やっぱりダムは必要だという空気になっている。

おかしなものであれほど「ダム反対」を唱えていた人たちが、台風で被害が出たら「なぜダムを造らなかったのか」と批判した。

政治家が「空気」つまり雰囲気に流されて政治をしたら、必要なダムや公共事業が行われなくなり、日本経済を破壊してしまいました。


さてダム建設候補地だった自治体は、ダムを建設した村と拒否した村に分かれたのだが、結果はどうなったのでしょうか。

ダムで村が沈むとして建設拒否した村は例外なく限界集落になり、今後すべて消滅集落になります。

ダムの底になるような山奥の谷底に好んで住む人はいないので、ダムが無くても人口は減り村は消滅しました。


一方ダムを受け入れた村では確かに集落はダム底に消えたが、住民は補償金を受け取り平野部に移住したり、周辺のもっとマシな場所に移住しました。

ダム建設の資金が小さな村に数十億円も投入され、バブル景気に湧き様々な施設や道路が建設された。

そうしたダムの多くは秘境となり、釣り人や観光客が訪れる場所になっています。


人口百人程度の集落では、一日数人が宿泊する民宿であっても経済効果が大きく、ダム周辺には小集落が残る。

結局ダムを拒否した村の方が消滅し、ダムを受け入れた村のほうが、細々ながら存続している。

この理由は単純に「お金」で、ダムによってダムや観光などの職場ができ、職場があれば人々は定住します。


一方ダムを拒否した集落には収入源が無く、職場がないので住人はいずれ去っていきます。

郷土愛だけでは故郷は守れなかったという事です。