扉を開けて

今、楽しんでいること、
将来へ向けて考えること、
変形性股関節手術のこと、
折に触れて書いていきます。

空よ 水よ

2013年01月12日 | 

 毎日寒い
暖かくした家の中に居ても、うっかりすると足が冷えて右股関節
周辺に、引き千切られるような痛みが出て歩けなくなる
人工関節に不具合が起きたのかと、次の手術が頭に浮かんで
不安になる
外出するときはほとんど車、止む得ず電車で行くときは
ヒートテックのスパッツ、発熱何とかを何枚も履いて
羽毛入り防寒ズボンとホッカイロと、気合い!

広い空の下で深呼吸したいなぁ~
  

  

水に浮かびたい、漕ぎたい、揺られたい 

  

 春よ~遠き春よ~    まぶた~閉じれば・・・

  

上の写真は、みなかみ町の藤原湖の4月
ほとんど満水で木が水に浸かっている
水の色の碧が美しい
浮かびたい
もう、干物になりそうだ !
何とかせねば

 

 

 

 


しあわせの雲

2012年10月18日 | 



5月に湖北を旅した友人の子のA子ちゃんが結婚したと聞いて
別れ際のことを思い出した

彼らが引っ越していく当日、荷物を運び出したり
手伝いの人が来たり、息もつけないような大騒ぎの時
1歳半か2歳のA子ちゃんの口の中に、いくつもの口内炎が
できて、痛くて何も口にすることができなくて具合が悪かった
親は私にはできないと連れてきたから、私は心を鬼にした

あれは何という薬だったか・・・
紫色した液体の薬を口の中に塗った
嫌がり、暴れ、泣き叫ぶA子ちゃんを私の両足で抑えつけ
「このお薬を塗ると痛いのが治るのよ」とか
「お腹すいたでしょう、お薬付けてごはん食べようね」とか
「いい子のね、もう終わりだから」とか言いながら
これからの道中を考えると、楽にして出発させたかったから

いよいよ車に乗り込むという時に、友人に抱かれていた彼女は、
両手を伸ばし、身を乗り出して私にだっこねだった
まだ何も解からない赤ちゃんだったのに、あんなに泣かせたのに
判ってくれるものなんだ
ついこの間だったように思い出したけれど、もう30年以上も前だ

お祝いに、ギリシャ神話の守り神の絵柄のお皿を送ったら
礼状と共に、結婚式の時のスナップ写真が送られてきた

弾けそうに幸せいっぱいの笑顔で写っている
それを見て、私も幸せに浸れた
幸せの笑顔は他人をもしあわせにするものなんだ

 


お楽しみの後は・・・

2012年09月18日 | 

いつもは青空に雲
今回は雲の切れ目にハート型の青空
ハートですよねぇ
そう見るには無理があります?

飯山では、もうすすきが

飯山は長野県の北の端っこ
4泊5日、車で走リ回って689km
この頃、目から疲れがやって来て
楽しんだ後はヘロヘロ、1番下の写真みたいに黄昏れる
早く元気戻さないとカヌーシーズンが終わっちゃう



写真自慢じゃないんですけど・・・

2012年08月21日 | 

上を向いて歩いて、見たら青空に月!

雲を探して歩くけど、いまひとつ

ぐわーんとした空を写したくて、広角何倍とかの
デジカメ買ったけど腕とセンスは正直に表れる 

そろそろ手術のことを書こうかと、あれこれ考えていたら
生々しい記憶が戻ってきて
気が付けば血圧が跳ね上がり、
ウツウツと何日も過ごしてしまった。
忘れて暮らせるようになったけど、思い出すといけない。

写真はぜんぜん自慢じゃないけれど
文字だけより楽しめるかも 
とイラストのつもりで入れている。

ブログを見る人には目の毒かも知れないけれど 
「3泊3日の旅」は書きかけのままだし
「みなかみ」も「千歳」も楽しんできたのだから
ちゃんと書くぞ ! 写真付きで 

 


父の診察日

2012年08月12日 | 

一昨日は3ヶ月に1回の父の病院へ行った。
父はドライブが好きだ。
父のドライブは、私がカヌーに行ってリフレッシュ
するのに似ている。
ドライブに行けない人生なんて、死んだほうがましだと
言っている。

父は、5年半ほど前に甲状腺癌を宣告された。
医師に「これからは好きなことをいっぱいして、
穏やかに暮らしてはどうか」と言われた。

妹は父を、月に何度もドライブに連れて行く。
父は、自分で運転したいのだけれど
何年も前に免許を返納してもらった。
とても嫌がった。

私は緩和ケア科を探した。
「あと、半年かも」と言われたが
幸い、痛がることも苦しむこともない。
お風呂も着替えも、自分のことは何でも自分でできる。

自分のことが自分でできるということが、
人が生きる上でどんなに大切か、私は知っている。
介護の仕事もして来たが、私自身、手術後身動きが
とれない時期を経験した。

「意思の尊重」「自分らしく生きる」という言葉を、介護の世界でも
よく使われる。
部屋の中で2~3歩足を運んでティッシュを取に行く
庭に出て花を見る
買い物に行く
冷蔵庫から飲み物を出す
本当に「意思」と書くほどのことでもない日常のあれこれが、
意識をしない「意思」であったり、「自由」であったりする

父には、自分で運転できないなど少々狭くなってはいるが、
「自由」と「尊厳」を失うことなく大往生して貰いたいと思っている。

そして私もそのような死を切望している。

写真は病院の帰り道、父と見上げた空。
渋滞して停まってしまったのをよいことに、カメラを空に向けた。