雲が厚く、その場でじっとして動かない。
窓を開けても、風はあまり入って来ない。
※今日の断捨離物で、捨てる前の最後の思い出作り。
窓を開けても、風はあまり入って来ない。
数日前から、何かに水滴が落ちる音がしている。
昨日は、ベランダに主人を呼んで音の出どころを確認してもらうが、我が家ではないだろうとの事で、一安心。
雨でもないのに、かなり響くので水漏れを心配したが、他の家なら別の事情も考えられるから。
今日もするので、あちこち窓を開けて確認。
ふと思ったのは、室外機から出た水が、下に落ちた音ではないかという事。
自分の中で決着がつき大満足。
今日7月15日は、中元なのだそうで。
その昔は、半年生存の無事を祝し先祖の霊を供養するものだったそうです。
それが、生存の無事を祝して、日頃お世話になっている人に贈り物をするようになったのだそうです。
どっちにしても、生存の無事を祝すのは変わらないのですね。
暑さはこれからが本番(多分)
夏の暑さにも負けず、にこやかムードを
打ち上げましょう。
※今日の断捨離物で、捨てる前の最後の思い出作り。
片付けで色んな物を仕分けしていると、突然『赤い靴』の曲が浮かび思わず口遊むと、
『赤い靴 履〜いてた 女の子〜
い~爺さんに つ〜れられ〜て
い~ぃちゃった』
幼稚園の頃から、大人になるまで、長い間、『いい爺さんに連れられて』だと、思っていました。
テレビの特集で(昭和か平成の微妙な所)歌詞の内容を検証し、異人さんに連れられていく前に女の子は亡くなっていたという、悲しい事実で終わったのです。
最近、更に踏み込んだ事実検証が行われ問題になっていたようです。
事実に基づいた内容とは言え、小説もそうであるように、歌だって創作の部分があるから名曲になるのではないでしょうか。
『貰われて幸せになる予定だったけれど、海外船が出る前に病気で亡くなったから、綺麗なおべべでお出かけする事はありませんでした』じゃあ、歌も出来なかったでしょう。
令和だと、当事者は殆んどいないでしょうし、関係者の記憶だって曖昧でしょうから。
今も残る名曲で良いじゃありませんか。
それでも、学問として研究している人がいる限り、掘り下げなければならないのも仕方がありませんけれど。
どのみち、いい爺さんではない事は事実。それなのに、いまだに異人さんにならない。
文字にしなけりゃ気づかないかな?
い〜じ〜さんに🎶
い〜じんさんに🎶
やっぱり、耳が訛ってるのか(笑)
本日もお立ち寄り頂きありがとうございました。