久米島

久米島は、沖縄本島那覇市の西方約100Kmの東シナ海に位置し、久米島本島及び奥武島(おうじま)・オーハ島の有人離島

沖縄県の離島久米島の名物久米島紬のはなし

2012-12-27 21:19:19 | 日記
久米島(くめじま)紬のはじまり

貿易により伝わった工芸技術


まずはじめにクイズを出します。久米島の名前をつけた織物はなんでしょうか。そうです「久米島紬」ですね。なぜ、久米島に久米島紬という織物が生まれたのでしょうか。まず、その歴史的な背景を考えるために昔の沖縄についておはなしします。時代は沖縄が、「琉球国」とよばれた頃です。西暦でいうと、14世紀頃のはなしです。当時の琉球は中国と正式に貿易を始めたころでした。また、東南アジアや日本本土、朝鮮国などの国々と友好国としてお付き合いをしていました。琉球国は中国に硫黄や馬、夜光貝などを輸出していましたが、もともと島国で天然資源が乏しいところでした。そこで、考えた方法が、国々のいろいろな品々を買い集め、必要とする国々へ持っていって売る、中継ぎ貿易によって大きな富を得ることでした。めずらしい文物が国中に満ちあふれ、国が栄えている様子を当初の資料で語るのが、旧首里正殿の鐘です。その鐘に刻まれた文字からこのことが読み取れるのです。また、この鐘は当時の琉球の海外交易の勢いを示すことば「舟と楫をあやつり万国の津粱(しんりょう)となすとの文章にちなんで、(万国津粱の鐘」の別名でも親しまれています。し
かし、16世紀になると、ヨーロッパの国々の進出によって、東南アジアの貿易はもうけが少なくなり、中国などとの貿易になってしまいます。当時中国は鎖国政策をとっており、限られた国としか貿易をしていなかったからです。
その頃、琉球は大きな経済政策の転換を行うことになります。
国々の品々を輸入するだけでなく、必要なものを自らの手で作り出す、いわば工芸技術を身につけて工芸品を生産し、貿易のための商品を増やして利益を上げることを考えついたのです。久米島の宇江城(うえぐすく)城跡、伊敷索(ちはな)城跡などの古い城跡からは中国の青磁や白磁などの古い焼き物の破片がたくさん発見されています。焼き物ばかりでなく、いろいろな貴重なものがもたらされたことが想像されます。同時に品物ばかりでなく、その品物を作り出す技術も伝わった可能性があります。
この続きはまたあすです〓お楽しみを

塩辛い

2012-12-24 02:09:49 | 日記

画像のお菓子あおさ風味のポテトスティックですが、あおさ風味はまったくしない上に塩辛いです

これで¥105円とは高過ぎです。


見た目美味しそうですが騙されました

非常に塩辛いです

二度と購入しません。

もったいないので残さず全部食べようとしましたが、やはり塩辛くって全部食べきれませんでした。

処分します。

それに量も少な過ぎで¥105円とは高過ぎです

小島よしおさんの

2012-12-23 12:00:24 | 日記



お母さんが沖縄県の離島久米島(くめじま)で経営してるお店でランチしてきました



このブログを見てる皆さんご存知ですよ。

小島よしおさんのお母さんのお店見覚えないですか?


朝日テレビの毎週日曜日に放送してます。

自宅をリフォームする番組で小島よしおさんのお母さんのお店もリフォームしました。