こーんばーんはー⭐
本日の関東は晴天でしたなり~☀️
何だか天気も良く、オイラの気分も良く、学校へ出勤~😃
しかし、午後からの体育の授業で、暑すぎて?1時間30分くらい外にいるだけでオイラは、
夏バテ?みたいな体調になってしまった~❗😅💦
そして夜からは、浅草の教会に行ってオイラがメッセージする日でした~❗📖
この受難週の今日、木曜日は『最後の晩餐の日』です↓↓↓
『ルカの福音書 22章19節~22節』
それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。
「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。
「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。しかし、見なさい。
わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。人の子は、定められたとおりに去って行きます。
しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」
↑↑↑
これは、イエス様が十字架につけられる前の晩(弟子たちとの最後の晩餐の時)に、
イエス様がパンを取って裂き、
『これはわたしの体です。』と言われ、
また杯を取って
『これはわたしの血です。新しい契約です。』と言われました。
私たちの教会では、毎月『聖餐式』を執り行なっています。
イエス・キリストが私の罪のために十字架に架かられた時、ムチで打たれ、肉が裂かれて、血を流されました。
それを覚えて、新しい契約、『聖餐式』を行なっています。
肉体が裂かれる→パンを裂く!
血が流される→杯を受け取る(飲む)!
という事を象徴しています…!!!!
そしてこの『聖餐式』を通して、イエスキリストが我らと共にあることを体験することが出来ます。
しかし…この「最後の晩餐」の時に、イエス様は、このあと、ユダが裏切る事も知っておられました。
また、実際にはイエス様が十字架に架かる時には、他の弟子たちも逃げてしまったのです。
もちろんイエス様は、その事さえも知っておられました…
でもユダと他の弟子たちとの違いは、イエス様に対する考え、思い、その心にありました…
ユダにとって、イエス様は「先生」であり、他の弟子たちにとっては、「主よ」であったのです…
ユダは自殺してしまいました…
これは、自分の失敗は赦されないと思ったのでしょうか?
自分で責任を取ろうと思ったのでしょうか?
死んでお詫びしようと思ったのでしょうか?
いずれにしても、それ自体がイエス様の事を全然分かっていない証拠です。
神の愛と神の力を小さく見ていることになります…
イエス様は、『ごめんなさい』をすると赦して下さるお方です。
そして、自分で自分のいのちを断つ…自殺をするということは、
私たちのいのちをも支配しておられるのが『自分』ではなく、『神』であることを知らないから…
また、私たちが『神』の愛する作品であることを知らないからだと思います…
私たちも弱い人間です…
聖餐式を受けていながら、簡単に教会から離れてしまう人たちもいます…
それはイエスキリストの十字架を無駄にすることであり、
自分自身のいのちに対しても、本当にもったいない話であります…
自分で責任を取れない事も沢山あります!
でもその時に自殺して責任を取る…と言うことは全然逆です…
むしろ生きて、自己に死ぬ…!
そのためにイエスキリストに頼っていく❗
ということに気付く必要があります…
明日は受難日…
主の十字架を、益々仰ぎ見る者となりますように~†
ほいでは皆様また明日です…👋
本日の関東は晴天でしたなり~☀️
何だか天気も良く、オイラの気分も良く、学校へ出勤~😃
しかし、午後からの体育の授業で、暑すぎて?1時間30分くらい外にいるだけでオイラは、
夏バテ?みたいな体調になってしまった~❗😅💦
そして夜からは、浅草の教会に行ってオイラがメッセージする日でした~❗📖
この受難週の今日、木曜日は『最後の晩餐の日』です↓↓↓
『ルカの福音書 22章19節~22節』
それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。
「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。
「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。しかし、見なさい。
わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。人の子は、定められたとおりに去って行きます。
しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」
↑↑↑
これは、イエス様が十字架につけられる前の晩(弟子たちとの最後の晩餐の時)に、
イエス様がパンを取って裂き、
『これはわたしの体です。』と言われ、
また杯を取って
『これはわたしの血です。新しい契約です。』と言われました。
私たちの教会では、毎月『聖餐式』を執り行なっています。
イエス・キリストが私の罪のために十字架に架かられた時、ムチで打たれ、肉が裂かれて、血を流されました。
それを覚えて、新しい契約、『聖餐式』を行なっています。
肉体が裂かれる→パンを裂く!
血が流される→杯を受け取る(飲む)!
という事を象徴しています…!!!!
そしてこの『聖餐式』を通して、イエスキリストが我らと共にあることを体験することが出来ます。
しかし…この「最後の晩餐」の時に、イエス様は、このあと、ユダが裏切る事も知っておられました。
また、実際にはイエス様が十字架に架かる時には、他の弟子たちも逃げてしまったのです。
もちろんイエス様は、その事さえも知っておられました…
でもユダと他の弟子たちとの違いは、イエス様に対する考え、思い、その心にありました…
ユダにとって、イエス様は「先生」であり、他の弟子たちにとっては、「主よ」であったのです…
ユダは自殺してしまいました…
これは、自分の失敗は赦されないと思ったのでしょうか?
自分で責任を取ろうと思ったのでしょうか?
死んでお詫びしようと思ったのでしょうか?
いずれにしても、それ自体がイエス様の事を全然分かっていない証拠です。
神の愛と神の力を小さく見ていることになります…
イエス様は、『ごめんなさい』をすると赦して下さるお方です。
そして、自分で自分のいのちを断つ…自殺をするということは、
私たちのいのちをも支配しておられるのが『自分』ではなく、『神』であることを知らないから…
また、私たちが『神』の愛する作品であることを知らないからだと思います…
私たちも弱い人間です…
聖餐式を受けていながら、簡単に教会から離れてしまう人たちもいます…
それはイエスキリストの十字架を無駄にすることであり、
自分自身のいのちに対しても、本当にもったいない話であります…
自分で責任を取れない事も沢山あります!
でもその時に自殺して責任を取る…と言うことは全然逆です…
むしろ生きて、自己に死ぬ…!
そのためにイエスキリストに頼っていく❗
ということに気付く必要があります…
明日は受難日…
主の十字架を、益々仰ぎ見る者となりますように~†
ほいでは皆様また明日です…👋