大誠舘 宮崎師範Blog🔥

日々の稽古、諸活動を通じ独り言を綴っていきます。押忍

A distant karate story①

2020-01-28 10:26:49 | 日記
今から三十数年前となりますが、1985年~89年の5年わたり、毎年、正道会館北海道支部により
Come on Next Challenger
ノックダウンオープントーナメント
北海道空手道選手権大会

と銘打った大会が中島体育センターにおいて開催されていました。

当時の北海道空手界(直接打撃制)は有名主流派の勢いが強く、毎年オープントーナメントを開催していたのです。

※学生キックチャンプの先輩(当時正道会館北海道支部指導員)が理由も分からず参加を拒否された経緯もありますが…

その他に、現在フィリピンで御活躍されている斉藤拳一先生率いる真武会主催の 
 他流派に門戸を開放した
   真のオープントーナメント
が旭川で開催されていました。

この頃の正道会館は、全日本大会が第3回目位で、その後常勝軍団と呼ばれる序章のような感じの時期であり

北海道では、まだそれ程知名度もなく、知名度を上げるためにはオープンの大会を開催することが最も有効な手段でありました。

しかも、大会でその強さを示さなければなりません💪

そこで大会に招聘したのが、前のブログにも書いた当時高校生だった 総本部のM選手でした。

記念すべき第1回大会は、石井館長にも来道していただきました。

また真武会の斉藤先生等道内実戦空手界の著名な先生方々が一堂に集まったのです。

選手層というと、有名主流派以外の名だたる実戦諸流派が集まり、参加選手約40名のうち他流派は3分の2を占めていました。

この大会では体重の階級はなく無差別級で行われましたが、今と違いフルコンの技術が確立されていませんでした。

選手それぞれが技術云々というより喧嘩腰で闘いに臨んでいたのでした

結果的にM選手が、強烈な左アウトロー、それに続くレバーを狙った左フック→上段ヒザといった
   倒しのセオリー
で順当に勝ち上がり、優勝したのです。

それに続く正道北海道勢も上位を独占し面目を保ったのでした

当時、北海道の空手は10~20年遅れていると言われていましたが、選手それぞれの闘いには個性があり、まさしく喧嘩そのもので、闘いの原点を肌で感じて、それはそれで良かったと思います。

今となっては懐かしい限りです

私ですが…
この当時、ローキック、突き主体のガチンコな組手を主体としており、結果的にベスト8止まりでした

この大会以降、私をはじめとする北海道支部のメンバーは、M選手の影響もあり、左アウトロー等を主体とした
   倒しのセオリー
の習得に励むのでした 
            押忍










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