続・シーガイア100倍!!

【東北の旅】八甲田へ

八甲田山。

大岳(標高1584㍍)、前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、硫黄岳、石倉岳、高田大岳が八つの甲に見える事から八甲田と呼ばれているが「北八甲田連峰」が正式名称。


おはようございます。時刻は7:30。出発です。


青森駅ともお別れ。


青森県庁横を通過。


市内を出るとすぐ山道に。国道103号線、八甲田ゴールドラインです。


途中県道40号線に入りました。八甲田。。。見えてきましたよ。



目印になる銅像茶屋



ここに何があるのかというと。。。。


2枚の看板が立っています。手前には「雪中行軍遭難記念碑」「後藤伍長の像」とあり・・・





ここで何が起きたのかというと・・・・

【八甲田雪中行軍遭難事件】
1902年(明治35年)1月
日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で冬季に雪中行軍の訓練中に遭難した事件。
訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)
日本の山岳遭難事故(なぜか事件となっているが。。。)としては最悪。
原因としては
・西高東低の冬型気圧配置で未曾有の寒気団がやってきていた。
・観測史上最低気温を各地で観測。
・装備の不備
・冬山への認識不足
・指揮命令系統の混乱

などが挙げられますが、未だはっきりしていないようです。

あまりにも悲惨な事故(事件)だったことから
映画(八甲田山)にもなりましたし、様々な書籍も出版されています。

興味がある方はウィキに詳しく出ています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

見えてきました。


この方が後藤伍長。(伍長は階級です)立ったまま仮死状態で発見されたのでした。
後藤伍長は救出後、その証言により「捜索の手がかりになった」という意味から銅像のモデルになりました。


ここは馬立場と言う場所なんですが、後藤伍長はもっと青森寄りで発見されたそうです。
この付近でも沢山の犠牲者が発見されたようです。


なんてこと無い場所に見えるのですが冬の八甲田は想像もつかない状況になるのでしょう。


後に見えている山が通称「八甲田」。とても静かです。
八甲田は素晴しく美しい。それだけに悲しく思えます。


映画「八甲田山」を小さいときに見たんだけど、その映画のシーンと音楽が蘇ってきます。

映画「八甲田山」予告編。
http://youtu.be/Aq5rzK279io

よく見ると雪が残ってますね!!


いくつもスノーシェルターを通過しながら八甲田をあとにしたのでした。


続いては盛岡へ向かいます。もちろん冷麺を頂くためです。

つづく
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