monologue*

花好きba~baの+ひとりごと+

母になった日 。。。

2024-11-05 14:43:51 | セピア色の想い出

今日は 遠く離れたところで暮らす 息子の誕生日

すなわち...

子供のような私が めでたく母となった 記念の日 。。。


早朝から チクチクと痛みが出て

今頃は この世のものとは思えないような痛みに苦しみ

産院のベッドの上で のた打ち回っていたw


無事..3000gで産まれたのは 午後4時過ぎのこと


父は 会社から何度も産院に電話したらしい

もう産まれましたか?...って

何度目かの電話で

男の子の誕生ですよ

と言われ

会社帰りにまっすぐ 産院に駆けつけてくれた

とろける様な顔をしてw


母は 息子を見るたび よく言っていた

Sちゃんが もう〇歳なんだもの

おばあちゃんもトシ取るはずだね

...って

孫①が 来年から高校生

私も あの時の母と同じような歳になって

母の気持ちが 解るようになってきた


自分の誕生日には

空の上にいる 大好きな両親に感謝したい

 

 

何処にいても

あなたが幸せであれば それでいい

子供たちの幸せが 母の喜び


何はともあれ

Happy birthday

誕生日 おめでとう

 


花好きba~ba..umi*の原点 。。。

2024-09-21 13:38:49 | セピア色の想い出

☆この間 社宅時代のママ友さんと立ち話をして...

久し振りに その頃の事を懐かしく思い出した

 

 


ペラルゴニウム・オーストラーレ

 

時は遡ること 40年とチョット前 。。。

当時の社宅は 築20年弱で 決して新しくはなかったけど

鉄筋コンクリート造りの 庭付きメゾネットタイプで

1階は 6畳一間に キッチン バス トイレ

2階は 6畳と4畳半の2間という間取りだった

 

 

近くには公園もあって

子供を育てる環境も 十分整っていたし

周りには同じような年代のママさんや子供たちが沢山いたので

子供を遊ばせながら のんびりと井戸端会議の毎日~笑..を過ごしていた

 

南に面した 広い庭は 畑にして野菜を育てたり

遊具を置いて 子供の遊び場にしたりと

各家庭それぞれの使い方

私は お花屋さんが 近くにあったので

お花をいっぱい植えて 人生初めてのガーデニング

 

祖母も母も 花好きだったけど

実家にいるときは お花に興味は無かったので

社宅で自分だけの庭が持てて...

これが お花を育てる楽しさににハマる 第1歩だったのかもしれない

 

 

入居当時の (オットの)給与明細には

社宅の家賃 250円(確か...)が引かれ...

住宅手当として 2500円(多分...)が入っていた

えっ! プラスやんw

 

数年後には 家賃も6000円位に 大幅アップしたけど

同時に住宅手当も 1万円台にアップして

やっぱり プラス

近場で同じような間取りのアパートは 3~4万していたと思う


私だけではなく 周りはみんな専業主婦だった

そんな時代だったのかもしれないけど

安い家賃と住居手当のお陰もあったのかもしれないな~ 。。。

 


当時 オットの会社では 定年になるまで社宅に住み

退職金で家を建て

その後は 悠々年金暮らしという方が殆どだった...らしい

今では絶対無理!だよね


古き良き時代の 昭和の想い出
 。。。

 


梨の季節の始まり 。。。

2024-08-04 17:26:57 | セピア色の想い出

umi*が生息する T県は

落花生だけではなく

梨の生産でも 日本一


母の従弟が梨農園を営んでいたので

毎年この時期になると 母と一緒に従叔父のところに行き

梨をいっぱい貰ってきた

ちょっと小粒だったり...

少しだけ傷が付いていたり...

味は変わらないのに

それだけで売り物にならない はじかれた梨 。。。

従叔父が 大きな段ボールいっぱいに 詰めてくれた

 

母が従叔父たちと お喋りしている間

私は母に頼まれて

親戚・知人に送る為の宅急便の用紙を何枚も書かされたっけ

母よりも年下の従叔父は

数年前..母よりも先に逝ってしまい

従叔母も 従叔父のあとを追うように亡くなった

今は 私よりも二つ下のTちゃんが一人で 梨農園を切り盛りしている

今年の一月..叔父の葬儀で顔を合わせたTちゃんが

梨 貰いに来てよ

そう言ってくれたけど

私には...

ただ 貰いに行くだけの図々しさが

ありそう無いw

 

 

昨日

スーパーの生産者さんコーナーに並んでた ちょっと小振りな幸水

5個入りで 540円だった

従叔父は もっと立派な梨を ぼんぼんくれてたな~

梨は買うものではなく 貰うもの

そう思っていた時代も...

とうの昔に 終わっちゃった

 


あれから50年 。。。

2024-07-10 13:40:08 | セピア色の想い出

とあるニュースサイトで

銚子商業高校野球部 全国制覇から50年という記事を読んだ

そっかぁ...

50年かぁ...

燃えたよね..あの夏

絶対エースの土屋

4番サードで 2年生の篠塚

黒潮打線と呼ばれた好打

そして...

アルプススタンドで揺れる 大漁旗

 

昭和70年代

野球王国千葉と言われていた あの時代

umi*は 花も恥じらうJKだったw

銚商が全国制覇をした翌年には

習高が深紅の優勝旗を再び 千葉に持ち帰ってくれたんだよね

 


2019/7/24    マリンスタジアム

 

 

今年も 高校野球地方大会が始まった

umi*の推しは もちろん

古豪 銚子商業習志野高校

 

あれから50年 。。。

もう一度 黒潮打線を見てみたい

短くて..力強い銚商の校歌を

甲子園球場で聴かせてほしい

 


雨の日の想い出 。。。

2024-07-01 10:22:14 | セピア色の想い出

今日から 7月

2024年も もう半分終わっちゃったね

早い 早い 、、、

 *  *  *  *  *

小学生は傘をさして..班ごとに1列に並んで歩き

チャリ通の中学生は 大きなリュックを背負った上から合羽を着て

重そうにペダルを漕ぐ

雨の日の朝の

子供たちの登校風景



紫陽花 てててまり


今は 学校に置き傘を準備してあって

下校時の急な雨降りにも 子供たちは困らない

学校に置き傘

...って いつからなんだろ

*= = = = =*

 

私が小学生だった 半世紀(以上)前

置き傘なんて無かったから...

突然の雨!

そんな時には

子どもの傘を持って お迎えに来たお母さんたちが 昇降口に溢れてた
※今と違って 殆どのお母さんが専業主婦だった 昭和40年代のumi*実家地方

大勢のお母さんたちの中から 自分の母を探し

いつもは友達と一緒の 学校から家への道を

その日だけは 母と二人で歩く

そんな些細な事でさえ嬉しかった 小学校時代


母とは 色々あったけど
...

やっぱり 好き!


60年以上 生きてると

セピア色に輝く想い出が いっぱい!