みかんと申します。
少し時間がたってしまいましたが、2025年3月11日、東日本大震災から14年が経ちました。
能登の地震など、日本に住んでいる限りは地震と向き合っていかなければならないんだとつくづく思いました。
去年のある夜、私が住んでいる県も震度5の地震があり、その頃から地震対策をしました。
水、簡易トイレ、乾パン、ウェットティッシュ、トイレットペーパーは多めに買っておくことなどです。あと夫の前の職場のヘルメットがひとつ。
去年も書いたような気がしますが、改めて東日本大震災の記憶が薄れないようにまた書いていこうと思います。
当時私は高3でした。長野県の大学へ入学が決まり、両親と不動産屋さんを回っているときに地震を知りました。
その時はあまりピンと来なかったです。
しかしその夜3月12日、長野県で地震があったのを皆さんご存知でしょうか。
東日本大震災のニュースが優先であまり知られていないと思いますが、3月12日深夜、長野県栄村で震度6強の地震がありました。3人のかたが亡くなられています。
私もその揺れをホテルで経験し、とても怖かったです。
次の日長野県は特に普通で、私も両親も普通に観光していました。
帰るころになるとみどりの窓口でみんな切符を返金していたので、電車はとてもすいていました。
お店がみんなしまっていて、街は異様な雰囲気の中家に帰りました。
そして、原発問題、計画停電、津波のニュース、亡くなった人がどんどん増えていくこと
にやりきれなさを感じました。
つくづく、地震のまえには人々は無力なんだなあと思いました。
いつかくる南海トラフ地震、忘れずに日々を大切に過ごしていきたいです。