
月曜日


シルバーラブの日
1948(昭和23)年、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動でしたが、養子に連れ戻された。
その後2人は結婚した。
川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから
「老いらくの恋」が流行語になった。


若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮子時の
四十歳の恋は、世の中に
かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。 (「恋の重荷」序)


カメラの日
1977年(昭和52年)に小西六写真工業(当時)が
世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラコニカC35AFを
発売したことによる。
「ジャスピンコニカ」呼ばれ、人気を博した。
(こよみのページ‐http://koyomi.vis.ne.jp/より)


19:30~
地区協議会19:30~ T宅
うたた寝。少し遅れる。
座談会を検討。
地区部長とマクドーでコーヒー。
地区部長が仕事でなやんでいるようだ。
明日、滋賀の琵琶湖に出張。
行くには白ずくめで、と
白装束集団の建物の工事の事で
嫌だなーと・・・。





シルバーラブの日
1948(昭和23)年、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動でしたが、養子に連れ戻された。
その後2人は結婚した。
川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから
「老いらくの恋」が流行語になった。


若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮子時の
四十歳の恋は、世の中に
かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。 (「恋の重荷」序)


カメラの日
1977年(昭和52年)に小西六写真工業(当時)が
世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラコニカC35AFを
発売したことによる。
「ジャスピンコニカ」呼ばれ、人気を博した。
(こよみのページ‐http://koyomi.vis.ne.jp/より)


19:30~
地区協議会19:30~ T宅
うたた寝。少し遅れる。
座談会を検討。
地区部長とマクドーでコーヒー。
地区部長が仕事でなやんでいるようだ。
明日、滋賀の琵琶湖に出張。
行くには白ずくめで、と
白装束集団の建物の工事の事で
嫌だなーと・・・。


