土曜日
ロータス(ハス)効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E5%8A%B9%E6%9E%9C
名字の言
なぜハスは泥に染まらないのか。それは「身繕い」をしているからだという。ハスの葉には、撥水性がある。表面にある細かい毛のようなものが水をはじくのだ
▼葉に付いた雨や露が丸い水滴になって、コロコロと表面を転がり、泥やゴミを絡め取っていくそうだ。
「ロータス(ハス)効果」と呼ばれている(『レンコン(ハス)の絵本』農文協)。
雨露で汚れるどころか、かえって、それで自らをきれいにしてしまう。
仏法で説く「如蓮華在水」の言が思い起こされる。
ダンテ3
ダンテは、少年時代に、最愛の存在を相次いで失うという深い悲しみを経験しています。
ダンテがまだ5歳のころに、母が亡くなりました。さらに、母親の代わりに自分を育ててくれた祖母も、そして父まで失ったのです。
また、理想の女性として慕っていた、ベアトリーチェも20代の若さで世を去りました。
若き日から試練多き人生を生き抜いたダンテら偉人の姿を通して、
文豪ヴィクトル・ユゴーは明言しております。
「大きな樅は、唯だ嵐の強い場所にばかり成長する」
(榎本秋村訳『ユウゴオ論説集』春秋社書店)
その通りです。嵐を勝ち越えてこそ、大樹と育つことができる。
これが万物を貫く法則です。
ダンテは振り返っています。
「私は幼少時代よりして真理に対する愛に絶えず養われた」(中山昌樹訳『ダンテ全集第7巻』日本図書センター。現代表記に改めた)
真理を求めて、学びに学び抜いてきた誇りが伝わってきます。
その向学と探究の精神は、学園の校訓の第1項目、
すなわち「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」にも通じます。
では、ダンテの青春と学問は、どのようなものであったのでしょうか。
当時は、今のような印刷機がなかったため、書物は極めて貴重なものでした。
一冊一冊、人間が手で書き写したのです。
紙も非常に高価なものであった。
本一冊を買うために、葡萄畑を売ったという話さえあります。
何ごとであれ、「徹する」ということが、人間として一番強い。
勉強でも、スポーツでも、芸術でも、徹し抜いてこそ、才能は花開くのです。
とりわけ、
ダンテは「死」という人生の根本問題に直面した青年時代、哲学書を読むことに没頭しました。
なぜ、人は苦しみ、悩み、そして死ぬのか。
何のために、人は生きるのか。
この人生を、どう生きれはよいのか──。
人間の根幹となる問いかけを持ち、その答えを、人類の「精神の遺産」である哲学や文学に求めていったのです。
ダンテ青年は、“古代ローマの光り輝く英知”である、
大詩人ウェルギリウス、
雄弁家として名高い哲学者キケロ
、政治指導者で哲学者のボエティウスなどの名作を、次々と読破していったといわれています。
なかでも、ウェルギリウスの詩集について、ダンテは後に『神曲』で、
感謝を込めて綴っています。
「長い間ひたすら深い愛情をかたむけて/あなたの詩集をひもといた」
「私がほまれとする美しい文体は/余人ならぬあなたから学ばせていただきました」
(平川●弘訳、河出書房新社)
一冊の良書との出あいは、人生を大きく開く力があるのです。
とはいえ、秀才ダンテといえども、最初から、すべてを簡単に理解できたわけではなかった。
ダンテは、キケロやボエティウスの著作を読んだ時、初めは意味を理解することが難しかったと正直に述べています。
真剣に学んでいる人は、知ったかぶりはしない。謙虚です。誠実です。そして、知らないこと、分からないことを、貪欲なまでに探究し、理解し、吸収して、自分の心の世界を広げていこうとするのです。
ロータス(ハス)効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E5%8A%B9%E6%9E%9C
名字の言
なぜハスは泥に染まらないのか。それは「身繕い」をしているからだという。ハスの葉には、撥水性がある。表面にある細かい毛のようなものが水をはじくのだ
▼葉に付いた雨や露が丸い水滴になって、コロコロと表面を転がり、泥やゴミを絡め取っていくそうだ。
「ロータス(ハス)効果」と呼ばれている(『レンコン(ハス)の絵本』農文協)。
雨露で汚れるどころか、かえって、それで自らをきれいにしてしまう。
仏法で説く「如蓮華在水」の言が思い起こされる。
ダンテ3
ダンテは、少年時代に、最愛の存在を相次いで失うという深い悲しみを経験しています。
ダンテがまだ5歳のころに、母が亡くなりました。さらに、母親の代わりに自分を育ててくれた祖母も、そして父まで失ったのです。
また、理想の女性として慕っていた、ベアトリーチェも20代の若さで世を去りました。
若き日から試練多き人生を生き抜いたダンテら偉人の姿を通して、
文豪ヴィクトル・ユゴーは明言しております。
「大きな樅は、唯だ嵐の強い場所にばかり成長する」
(榎本秋村訳『ユウゴオ論説集』春秋社書店)
その通りです。嵐を勝ち越えてこそ、大樹と育つことができる。
これが万物を貫く法則です。
ダンテは振り返っています。
「私は幼少時代よりして真理に対する愛に絶えず養われた」(中山昌樹訳『ダンテ全集第7巻』日本図書センター。現代表記に改めた)
真理を求めて、学びに学び抜いてきた誇りが伝わってきます。
その向学と探究の精神は、学園の校訓の第1項目、
すなわち「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」にも通じます。
では、ダンテの青春と学問は、どのようなものであったのでしょうか。
当時は、今のような印刷機がなかったため、書物は極めて貴重なものでした。
一冊一冊、人間が手で書き写したのです。
紙も非常に高価なものであった。
本一冊を買うために、葡萄畑を売ったという話さえあります。
何ごとであれ、「徹する」ということが、人間として一番強い。
勉強でも、スポーツでも、芸術でも、徹し抜いてこそ、才能は花開くのです。
とりわけ、
ダンテは「死」という人生の根本問題に直面した青年時代、哲学書を読むことに没頭しました。
なぜ、人は苦しみ、悩み、そして死ぬのか。
何のために、人は生きるのか。
この人生を、どう生きれはよいのか──。
人間の根幹となる問いかけを持ち、その答えを、人類の「精神の遺産」である哲学や文学に求めていったのです。
ダンテ青年は、“古代ローマの光り輝く英知”である、
大詩人ウェルギリウス、
雄弁家として名高い哲学者キケロ
、政治指導者で哲学者のボエティウスなどの名作を、次々と読破していったといわれています。
なかでも、ウェルギリウスの詩集について、ダンテは後に『神曲』で、
感謝を込めて綴っています。
「長い間ひたすら深い愛情をかたむけて/あなたの詩集をひもといた」
「私がほまれとする美しい文体は/余人ならぬあなたから学ばせていただきました」
(平川●弘訳、河出書房新社)
一冊の良書との出あいは、人生を大きく開く力があるのです。
とはいえ、秀才ダンテといえども、最初から、すべてを簡単に理解できたわけではなかった。
ダンテは、キケロやボエティウスの著作を読んだ時、初めは意味を理解することが難しかったと正直に述べています。
真剣に学んでいる人は、知ったかぶりはしない。謙虚です。誠実です。そして、知らないこと、分からないことを、貪欲なまでに探究し、理解し、吸収して、自分の心の世界を広げていこうとするのです。