孫弟子

2010年02月03日 00時11分32秒 | 日記
水曜日

N夫婦と出会う。

16:00~
マクドナルドでコーヒー

メモる。

「やさしい教学」
 師弟不二の精神で
 仏の悟りを得ようと精進する
「上求菩提」

「下化衆生」

「忘れ得ぬ あの瞬間」13 

沖縄初訪問。

ひめゆりの塔

で追善の題目を送る先生の姿(写真)

http://www.asahi-net.or.jp/~lk5k-oosm/war/himeyuri.html


黒ずんだ雲のうごきは、何のうごき?
悪徳と、偽善者どものうごき?
キツネとタヌキを映す空模様?

空は人を映し、人は空に映る?

邪悪はのさばり、弄ぶ。
砕いて、突き抜け、大空へと!


小説「新・人間革命」
 2月3日

 大日本高等女学会で牧口常三郎は、“好学の心”をもちながらも、経済的な事情などで進学できない女子に、勉学の場を提供するため、あらゆる努力、工夫を重ねた。
 出征軍人の家族には、入学金を免除し、月謝を半額にした。また、特待の枠を設け、小学校長の推薦する模範の生徒には、入学金も月謝も無料としている。

 牧口は、通信教育を始めて、半年ほどたったころから、神田・三崎町にあった大日本高等女学会の建物で、月に一度、女子技芸実習講話会を企画している。直接、授業を受ける機会を設けたのである。
 また、彼は、東京各区で、大日本高等女学会の懇話会を行っているほか、全国各地で、懇話会を開催するよう呼びかけている。
 地域で、互いに励まし合いながら、勉強を続けるネットワークづくりを、期待していたのであろうか。

 大日本高等女学会の通信教育は、最盛期、全国に二万人余の受講生を数えるに至っている。しかし、貧しい人びとに教育の場を提供したいという彼の教育方針を貫くには、篤志家などの支援を必要とした。結局、財政が思うに任せず、やがて、経営は行き詰まり、牧口は、やむなく手を引くことになる――。

 いわば、創価大学の通信教育部開設は、人びとの幸福のための教育を実現しようとした牧口の、悲願の結実であったともいえよう。
 その先師の苦闘を知っていた山本伸一は、“孫弟子の自分が、牧口先生の念願を果たそう”と心に決めていたのだ。永遠なる師弟の道が、大事業を成就させるのだ。

 また、牧口の弟子・戸田城聖もまた、通信教育には、ことのほか力を注いできた。
 戸田は、一九四〇年(昭和十五年)一月に、月刊学習雑誌『小学生日本』の五年生向けを、四月に、六年生向けを創刊する。そのなかに、切り取って送ることのできる「誌上考査問題」を掲載している。
 届いた答案は、採点し、間違いを正し、考え方を指導し、批評して送り返すのである。


報恩抄

天台大師の御気色は
師子王の狐(こ)兎(と)の前に吼(ほ)えたるがごとし
鷹(たか)鷲(わし)の鳩(はと)雉(きじ)をせめたるににたり、
かくのごとく
ありしかば・
さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと
震(しん)旦(たん)一国に流布するのみならず
かへりて五天竺(てんじく)までも聞へ
月氏・大小の諸論も智者大師の御義には勝れず
教主釈尊・両度出現しましますか
仏教二度あらはれぬと
ほめられ給いしなり。
300ページ



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