人物紀行

2009年10月18日 14時03分46秒 | 日記
日曜日

晴・綿雲



 孫の日(まごのひ) 
10月第3日曜日の記念日である。1999年に記念日に制定された。
日本百貨店協会が最初に提唱し、日本記念日協会の認定を受け
ている。
―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』―



日曜日久しぶりに少し寝る。
団塊世代が『gooマイホーム』に書き込みを始めてる。どうな
ることやら、判らん?つい最近ダハ、PCでメールなるものを
始めたのは・・・

 

池田名誉会長の人物紀行『歴史の巨人』と語る(10/18/09)

ルネサンスの巨匠
レオナルド・ダ・ピンチ(上)

「汝、奮起せよ!」 「精神は鍛錬なしには堕落する」
ルネサンスの巨人は、そう鼓舞しているようであった。
1999年の11月3日。創価大学の本部棟に完成した、
レオナルド・ダ・ピンチの像と、私は向き合った。



真理を射貫く鋭き英知の眼。創造への燃え盛る情熱を
象徴する髪と髭。利き手であった左手は羽ペンを持ち、
右手のノートに、迸る思念を書き付けようとしている。
彼は、その生涯において、1万ページともいわれる膨
大なノートを書き綴った。



米ソを結んだ大実業家アーマンド・ハマー博士のオフィ
スにお招きいただいた際、その人類の至宝であるダ・ピ
ンチのノート(レスター手稿)を拝見した思い出がある。
「もっと良く知るために」とは、ノートに繰り返し記され
た彼の求道の真情である。
絵画、彫刻はもとより、音楽、建築、数学、幾何学、解剖
学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、
物理学、光学、力学、土木工学等、彼の探究の翼は限りなく
広がり続けた。



「その偉大さの前には、芸術家、科学者、哲学者というよう
に線を引くことが、おそらくは無益であろうと思われる」と、
ドイツの大哲学者ヤスパースは感嘆している。
創立以来、私は「創造的人間の建設こそ、創価大学の使
命なり」と訴え続けてきた。その最高最大のモデルこそ、
レオナルドに他ならない。



世界中から来学される知性を、創大生・短大生は、この
像の前で歓迎する。人類が共に仰ぐ万能の世界市民が、そ
の光景を見守っているのだ。



「幸運は、みずから努力する人にのみ宿る」―これがレオ
ナルドの信条であった。ゆえに、「他人の労苦で、その身を
飾ろうとする」人間を軽蔑した。
そして、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」 「可愛想に、レ
オナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」
(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記・上』岩波文庫)。
そう自らに問うほど、奮励努力した。


 
現存する彼のデッサン(素描)は、900種ともいわれる。
地道な労作業の結晶だ。
こうした膨大な努力の蓄積なくして、「モナ・リザ」や「最後
の晩餐」は誕生しなかったことを知らねばなるまい。



レオナルド研究の第一人者であられる裾分一弘博士から、貴重
な著書を頂戴した。
博士の研究書には、レオナルドが後輩の画家に贈った、アドバ
イスが記されている。
「建物の頂上に達するためには、一段一段登ってゆく必要があ
り、さもないと頂上に達することは出来ない」(『レオナルド・
ダ・ヴィンチ』中央公論美術出版)



忍耐こそ希望の母であり、執念こそ勝利の光である。
「大なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」
   (『リオナルド・ダ・ヴィンチ』)
かって、私が学生部の英才に託した、レオナルドの結論である。



小宇宙と大宇宙



レオナルドの労苦の精華に圧倒されたことがある。
1994年の6月3日。ダ・ピンチが仕えたミラノ公の
「スフォルッツア城」を訪れた時のことである。「アッセ
の間」と呼ばれる部屋一面に描かれた、彼の装飾画をイタ
リアの友と鑑賞した。



世界最古の伝統を誇るボローニャ大学の講演で、「レオ
ナルドの眼と人類の議会」を論じた2日後のことである。
そこには、壁面から天井へと枝を発する大樹が、すさま
じい迫力で描かれていた。
なかんずく、その根っこが圧倒的な活力に満ち満ちて、
鮮烈に描かれていた。



風雨に揺るがぬ大樹には、必ず厳然たる根かある。.人が
知らないところで、強さの土台が築かれるという生命の奥
義に、レオナルドの慧眼は注目していたのであろうか,
岩盤を深々と引き裂く根から出発して、円柱の如く立ち
上る樹幹を走り、天井を覆う枝へと伸びゆくダイナミック
な生命力の脈動が.そのまま伝わってくる,
―池田先生の人物紀行―より






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