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火曜日
青年たちよ!もっと夢を持て
池田名誉会長特別寄稿
【青年たちよ!もっと夢を持て】
〔希望の見えない現代若者達よ、夢を持て。太陽の光が見えないのなら自らが、その光となれ。二十一世紀を担う千葉の若人達に、未来を切り開く勇気を与える人生の達人からの特別寄稿〕
「夢を持つ事を忘れないで!」こう呼び掛けるのは、2001年、日本で二人目の「女性宇宙飛行士」に認定された山崎直子さんである。千葉県の出身だ。宇宙飛行士を目指したのは、中学三年生の時と言う。アメリカのスペースシャトル・チャレンジャー号の打ち上げをテレビで見ていたところが発射直後に、爆発―。尊き犠牲となった宇宙飛行士に、一人の女性教師がいた。宇宙から授業する事が大きな夢だった。それを知った山崎さんは「私が、その夢を受け継ごう!」と思い立った心に熱い火が点った。
その後、猛勉強にも厳しい訓練にも耐え抜いた。大いなる夢に生きゆく青春は、千葉の大地から大宇宙の高みへ羽ばたいて行ったのである。私の人生の師もよく「青年は、夢が大き過ぎるくらいでいい初めから望みが小さくては、何も出来ないからだ」と語っていた。夢を大きく持って、走れる所まで走る。その分だけ、自身の世界を大きく広げる事が出来る。
今、若い世代に「何をやっていいのか分からない」「やりたい事がない」と言う悩みが多いと聞く。先日、胸をえぐられる調査結果があった。晴れて成人式を迎える人に「今の自分をお金に換算すると幾らか」と尋ねたものだ。一番多かったのは「ゼロ円」13,5%を占めた。勿論、この数字だけで、今の若者の自己評価を決める事は出来まい。「ゼロ円」の答えには、人間の価値をお金で計る事への抗議を込めた人もいるかも知れない。それはそれとして、私が言いたいのは、決して「自分で自分を卑下してはいけない」と言う事である。
「自分は駄目な人間だ」等と、絶対に思ってはいけないし思う必要もない。13世紀、千葉県に誕生した大哲学者は「例え一日でも生きる事は、千万両の黄金よりも価値がある」と示された。一人の生命は、全宇宙の財宝よりも尊い存在なのである。以前、私は、モスクワ大学前総長のログノフ博士と対談集を発刊した。その中で博士は「人間の脳が織り成すネットワークの組み合わせは、宇宙の中の物質を作る粒子の総数より大きい」と指摘された。若き頭脳には、宇宙大の創造力が秘められている。
私と妻の大切な友人にローザ・パークスさんと言う女性がいる二月の四日で九十二歳になられた。パークスさんは、アフリカ系アメリカ人。若き日から、理不尽な人種差別と戦い抜いてこられた「人権の闘志」である。かつて、アメリカ南部の町では、レストランも、待合室も、バスの座席も、映画を観るのも、子供達の水飲み場さえも「白人用と黒人用」に分けられ、黒人はいつも一段下に置かれてきたのである。抗議をすれば、袋叩きにあう事も珍しくなかった。「お前なんか、何をやっても無駄さ」「どうせ、出来っこない」「逆らうと、ためにならいぞ」どこへ行ってもやる気を奪われ、劣等感を抱かせられる現実ばかりであった。しかし、パークスさんは、お母さんが常に励ましてくれたと言う。「人間は苦しみに甘んじなければならないと言う法律はないんだよ。自尊心を持ちなさい。人から尊敬される人間になりなさい。そして、人を尊敬していきなさい」この母から学んだ勇気と誇りを胸に、パークスさんは信念の道を進んだ。一九五五年の十二月、仕事からの帰り道の事である。バスで「白人に座席を譲れ」と強要された彼女は、毅然として拒否した。待っていたのは不当な逮捕である。
しかし彼女は怯まないその勇気に続けと、町全体でバスのボイコット運動が起こった。抗議の波は、盟友キング博士らを先頭に25万人が参加した「ワシントン大行進」へと広がっていった。そして、遂に差別撤廃を勝ち取る日を迎えたのである特別な人ではない。デパートの店員をしていた平凡な女性である。だが、その勇敢なる一人の「ノー」の一言が人々の心を変え、世界を揺り動かしたのだ。パークスさんは、私に語っておられた。「私達は、人種差別はきっと無くなると信じていました。そして、必ず、そうなると望んだが為に、現実に変化を起こす事が出来たのです」心の力は無限大である。世界は広く大きい宇宙は更に広く大きいしかし人間の心は、更に広くて大きいのだ。人に何と言われようと「必ず自分は出来るんだ!」と信じる事である。「決意のあるところ道あり」。勇気を出して、自分が変われば周りも変わる。全てが変わる。勝利の道は、必ず開かれる。
《一歩でも前進する事が大切》
我が家のルーツも千葉県である。東京に移ってからは、大森で大規模に海苔を作っていたしかし私の少年時代は父が病に伏し、働き手であった四人の兄達は次々に戦争にとられ、生活は困窮するばかりであった。それでも、母は「うちは貧乏の横綱だよ」と朗らかだった。
私は少しでも家計を楽にしたいと、小学六年生から三年間、新聞配達をした。冬の朝などは辛かった。手の指が痛い程、かじかみ、息も凍える。途中でイヤになる時も「次の一軒までは頑張ろう」そしてまた「次の一軒まで」と、自分で自分を励ましながら、懸命に配った。終える頃には、体も温まり「今日も一日やりきった」と、気分は爽快であった。配達先に親切な若夫婦が居て、いつも、労いの声を掛けてくれた。夕刊の配達の後、食事に招いて下さった事もある。
「発明王エジソンも、少年時代に新聞の売り子をしながら勉強したんだ。若い時に苦労した人が幸せなんだよ」との激励は、今もって心から離れない。元々体は強くなかった私が、世界を掛け巡れるようになったのも、この新聞配達で鍛えたお蔭であろう。一つの仕事をやり通す中で、私は多くの事を学び、掴んだ。
「今、自分が何をしたらいいか、分からない」と言う人はまず何か一つ、「やり切った」と言えるものを作ったらどうだろうか。朝、登校したら「おはよう」と声を掛ける。昼休みに十分でも本を読む。夕食の後片づけを手伝う等々、身近に出来る事からでもいいと思う。人と比べる必要はない。昨日の自分と比べてどうかだ一歩でも、一ミリでも前へ踏み出した人は、もう勝っているのである。
十代は、人間の「根っこ」を作る時である。野菜の生産高が「連続日本一」の千葉県。その豊かな大地で活躍する農村の青年から、キャベツの「苗作り」の苦心を聞いた事がある例えば、与える水は出来るだけ少なくすると言う。それは、何故かその方が、自分の力で土から水分を吸収しようと、しっかり「根っこ」を張っていくからである。また、冬でも苗にビニールなどは張らない。目の粗い寒冷紗を二枚かけるだけ。冷気にさらされてこそ実の締まったキャベツが育つからだ。
人間も同じであろう。何もかも恵まれ、甘やかされていては、人格の芯は鍛えられない。青春時代、貧しい事は、むしろ誇りである。労苦こそが、宝なのである。それは、終戦後間もなく、私が十七歳の時であった。食料の不足が深刻で、人々が買い出しに奔走した時代である。私も満員電車に乗って、美しい田園と青い海が広がる幕張へ行った。そこで、お会いした農家の婦人が、実に親切な方であった。肺結核で痩せていた私を案じ、サツマイモを六貫目(約22,5㌔)も、快く分けて下さったのである。このお宅でも、戦地へ行ったまま帰らぬ息子さんを待っておられるように見えた。我が家も長兄が戦死である。母達の悲しみは、余りにも深かった。戦争ほど残酷なものはない。けなげな庶民が、幸福に、そして平和に暮らしていける世界を必ず創らねばならないと、若き私は深く心に刻んだ。
《「朝の読書運動」発祥の千葉県》
現在、私は、パグウォシュ会議の名誉会長でノーベル平和賞を受賞されたロートブラット博士とも、対話を重ねている。博士は、アインシュタイン博士等の心を受け継ぎ、戦争と核兵器の廃絶の為に戦い抜いてこられた。今年、九十七歳になられる。この博士が、少年の日のかけがえのない思い出として振り返っておられた事がある。それは「読書」の喜びである。
博士はポーランドの工場主の家に生まれた。第一次世界大戦が勃発したのは、五歳の時である。一家は家財を全て奪われ、没落。一日にパンが二切れだけと言う、どん底の生活を強いられた。そんな悲惨な時代だからこそ、若き博士は良書を次々に読破して、「夢」を広げていったと言う。そして、働きながら苦学を続け、世界的な科学者となっていかれた。学ぶ事は、青年としても最も崇高な権利であり、喜びである。強い心があればどんな厳しい現実にも押し潰されない。新たな理想の世界に向かって、自分自身を跳躍させる事が出来る。そのバネとなるのが、読書であり、勉学である。千葉県は、「朝の読書運動」の発祥の地である。十七年前、生徒の心の荒れに胸を痛めた高校の先生方が「学ぶ意欲」を取り戻してもらいたいと始められたと伺っている。
それが、今日では、全国の二万近くの小中高校で実地される広がりとなった。各地で、「朝の読書があるから、学校が楽しい」等の嬉しい声が聞かれる。良き活字文化の興隆こそ野蛮な暴力の蔓延を食い止める砦となる。その意味において、千葉日報社が主催される「千葉児童文学賞」
や「千葉ジュニア文学賞」も、誠に貴重な取り組みであると、私は注目する一人である。
千葉県が掲げる教育長期ビジョン「夢・未来2025」では、二十年後の社会の一つの展望として「責任ある『地球市民』社会」を想定されている。私も十年程前、米国コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで「地球市民教育」をテーマに講演し、「知慧」と「勇気」と「慈悲」の三点に言及した。先日、ベラルーシ共和国のミンスク国立言語大学のバラノヴァ総長一行が、私の創立した創価学園を訪問して下さった。その時、生徒の質問に答えて、総長は言われた。「世界平和を愛する心は、お父さん、お母さんを愛する心から始まります」その通りと思う。故郷・安房をこよなく愛された古の大哲人の教えにも、「親孝行が出来ない時は一日に二、三度、笑顔を見せてあげなさい」とある。
「地球市民」と言っても、遠くの話ではない身近な人を大事にし、暴力やいじめを絶対に許さない事が、戦争を無くす為の第一歩となる。人を妬んだり、嘘を付いたりせず、友情と信頼を大切にする事が、平和の文化を創る出発である。
中国文学の巨人・郭沫若先生は、一九二八年から十年間、市川市に住まわれた。郭先生の戯曲の一節に「諸君は、新しい太陽をお望みですか、それなら御自分で創って下さい」と青年こそ、新しい太陽だ。希望がなければ、自分で希望を創ればよい。闇が深い程、自分が光り輝いて、人々を照らし、社会を照らし世界を照らしていく事だ。千葉県は、日本で真っ先に朝日が昇る天地である。太陽の若人が続々と躍り出る「千葉青年の世紀」の未来を、私は胸を弾ませながら見つめている。
2005.3.16付け千葉日報より。
名字の言
4月6日
米スペースシャトル「ディスカバリー」が5日午後(日本時間)、無事に打ち上げられた。7人の乗組員のうち3人が女性。日本人宇宙飛行士の山崎直子さんも元気に出発した。旅の成功を祈りたい
▼山崎さんが、なぜ宇宙飛行士を目指したか。それは中学3年の時。スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故をテレビで見た。犠牲になった宇宙飛行士の中に女性の教師がいた。その人は、宇宙から授業をするのが夢だった
▼当時、学校の先生に憧れていた山崎さんは、“私が、その夢を受け継ごう!”と思った。そして猛勉強にも過酷な訓練にも耐えた。家族や周囲にも支えられ、見事に夢をつかんだ
▼5年前の2005年3月、池田名誉会長は「千葉日報」への寄稿で、千葉出身の山崎さんの生き方を紹介し、「青年よ、夢を大きく」と呼びかけている。「決意あるところ道あり」「自分が変われば、すべてが変わる」と
▼人類の偉大な事業は一世代では完成しない。人から人へ夢のバトンが託されて、成し遂げられるものだ。ゆえに後継者が大事だ。日蓮大聖人は、弟子を「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)と呼んで大切に薫陶した。新出発の季節、職場で地域で、後継の若人を真心で育てたい。(進)
小説「新・人間革命」
4月6日
二部学生大会では、二部学生の指導に当たってきた学生部主任部長の稲野健作が、大会の開催に至るまでの経過報告を行った。
彼自身、夜間部の出身であり、二部学生の力を結集し、広宣流布開拓の新たな突破口を開きたいと念願してきただけに、この大会開催の喜びは、一方ならぬものがあった。
「二部学生である私たちの力を、今こそ、いかんなく発揮し、新しい広宣流布のドラマを創ろうではありませんか!」と呼びかける彼の頬は紅潮し、声は歓喜に震えていた。
ドラマを創る――そこにこそ、人生の醍醐味がある。その人生劇場の主役は、自分自身である。自らの「心」である。
一生を感動の大ドラマとして完結させるには、試練の嵐は必要不可欠だ。いや、荒れ狂う苦難の怒濤こそ、望むところではないか。忍耐と努力と執念の、長い、長い暗夜も、あえて突き進んでいくのだ。
逆境――まさに、それこそが、創価の英雄が躍り出る最高の舞台であるからだ。不可能の壁に敢然と挑み立ち、必ずや、誇らかに凱歌を響かせるのだ。
次いで、この二部学生大会の実行委員長を務めた青年が、あいさつに立った。
彼は、会長の山本伸一が、若き日に、大世学院(当時)の夜学に学びながら、戸田城聖に仕え、守り支えた、創価の師弟の歴史に言及し、全身の力を振り絞るように叫んだ。
「師匠の山本先生と同じ道を歩む私たちの青春こそ、最高の誉れの人生道であります。私たちは、職場にいようが、どこにいようが、常に山本先生の心をわが心として、師弟不二、先生直結で、勇んで前進していこうではありませんか!
若き日に山本先生が、師匠・戸田先生のもとで、苦難をものともせずに戦い、広宣流布の新しき時代を開いてきたように、いよいよ私たち一人ひとりが山本伸一青年となって、創価の勝利の旗を打ち立てていこうではありませんか!」
皆の胸中に、師子の誇りが燃えた。
立正安国論
天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、
夫れ国は法に依つて昌え
法は人に因つて貴し
国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き
法を誰か信ず可きや、
先ず国家を祈りて
須く仏法を立つべし
若し災を消し難を止むるの術有らば
聞かんと欲す。
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