酒と就職氷河期世代
酒の良い所は、今すごく悩んでいる事がある。それをどうあがいても手に出来ない事は頭では理解している。しかし、心に信じられないくらいの葛藤を抱えたのが就職氷河期世代だろう。
周りも結婚、出産し、子育てをする。夫婦とも共働きという環境を団塊世代が提供した。物価を押し上げたのは、購買力にも陰りが出始めたらからだ。
団塊世代で終活している人は、驚くほど少ない。それはそうだ、団塊世代は今まで自分のお陰と自己顕示欲が強い。自分が認知症になるだとか、死ぬだとか、そういう意識は乏しい。
だから、糖尿病など患うし、様々な病に挟まれ、気づいた時には時すでに遅しが団塊世代だ。
彼らは、不幸にもコントロールされなかった人が多い。多くの日本人が戦死し、父をもたずに育つ。そうなると法の抜け目で生きる事を覚えようとする。
なぜなら父がいない彼らにとって、WGIPで制定された教育や、GHQが絡む法こそが彼らのルールであり抑圧そのものであるからだ。
しかし、前の日誌にもあるように、人は自分の心の声に蓋をすれば反動形成という別の心理が生まれる。そうやって法によって蓋をされた団塊世代の裏の欲求こそ、裏風俗の構築、パチンコの合法化、ブラック企業の建設であった。
彼らは、犠牲となる世代が必要であった。
犠牲になるとは、人生を犠牲にする事だ。自分の欲望達成のために犠牲になってもらう世代だ。
バブルを弾けさせたのを政治家の責任にしたが、バブルを弾ける事で都合の良い組織は、米国だけではない。
景気に左右されない大企業組織である。
裏風俗には就職難で苦しむ学生や、自暴自棄となった多くの就職氷河期世代が流れこんだ。そして、パチンコを合法化した背景も派手さ好きの団塊世代である。
奴隷達を収容するブラック企業という檻を作れば、あとは奴隷達が勝手に生産性を上げて自分らが一番甘い蜜を吸える。
そういった環境を作るには景気を悪化させ、就職難を作るのが一番だった。翻弄された就職氷河期世代は、まさに奴隷。
副作用として、人生が犠牲にするとは当たり前の事が手に入らない事だ。時間は有限で、有限ある時間の中で効率よく夢を実現するには、必要な行動と資金、環境を持っていないといけない。
就職難を団塊世代が政治コントロールで作れば、お金は就職氷河期世代には流れない。結果、若い世代の結婚、出産、子育てという社会の活力源まで奪う結果になった。
必要な行動とは、自分の心の深い部分にある基本的欲求を満たすための行動である。好きな人と結婚し、人並みの幸せを手にし、子供を産み、育てる。そう当たり前の欲求を国家が、介入し、踏みにじった経験がある。
必要な資金は、就職難やブラック企業の大量創設でカットされる。
必要な環境は、数こそ支配である選挙制度は、圧倒的に数で勝る団塊世代によって就職氷河期に不利な政策や環境が構築された。これほどの大罪にもかかわらず、合法であることも就職氷河期世代にとって劣悪だった以外の何者でもない。
団塊世代の大罪は、就職氷河期から上記の夢、願望を毟りとられた大勢の難民を生み出した事だ。
だから、少子高齢化は常態化し、深刻化した。
それだけなら、まだいい。
肝心なのは、周りが結婚したからと結婚したり、周りに流されながら生きている就職氷河期世代だ。彼ら、彼女らは、子供がいても自分がない。
人様から見たら、羨ましいと言われながら、自分の中にある本当の心の葛藤を抱えた就職氷河期世代だ。
ある人が言った。
不幸な子供とは、親から愛されなかった子供であると。不幸よりも最悪なのは愛されていないのに、愛されていると嘘をつかれて育てられた子供であると。
そのような親に育てられた子供は、親の偽りの愛を信じていながら。
生きるの嫌になっているはずだ。
偽りの人生、偽りの愛、偽りの家族。
仮面人生。
そうなると薬にでも頼りたくなる。
合法なのは酒。
飲酒運転について
就職氷河期の世代には、飲酒運転が多い。
この世代の女にとって老いとは、下がる自分への注目に危機感を持っていった。自分が変わる事に極端な恐怖を持っていた。自分への変化を楽しめず不安になるのが就職氷河期。
就職氷河期世代の心の傷、葛藤、怒りは自分が自分である事も不幸なのである。彼らにとって若い時に若い自分が満たしたかった願望こそが、夢であったからだ。
つまり、歳を重ねた自分では満たす事は叶わない。分かっていても、心は団塊世代に滅茶苦茶にされた昔の記憶がフラッシュバックし、今の自分へ自責を感じたり、自殺企図が生じたり。
とにかく今の自分を拒絶する。
それが結婚しても、出産しても、子育てをしていても、くすぶりだすと、大きな不安や挫折、絶望感に苦しむ事がある。
それが酒によって、不安や怒りから一時的な安堵感を得られるともう止まらない。酒がないと自分が保てなくなる、身体は立っても、心が立っていないと人は彷徨(さまよ)う事になる。
そういう人間は、今までは人を小馬鹿にする事で満たされてきた人間だ。
しかし、自分が無くした物の大きさを心で理解した時に他者を小馬鹿にしても、自分の本当の願望を満たせない事に気づく。
これが自分は自分、人は人という心理の本質だろう。流されない人はここがしっかりしている。
女性は変化が激しい生き物だ。
心も体も、脳みそまで変化が激しい。
劣るという変化に耐えきれない女。
劣るという変化を楽しめる女。
劣るという変化を騙し続ける女。
さて、女たちは自身の変化を
あと10年、20年、30年で
どう、とらえるのか?
大脳皮質が男性よりも薄い層の女性は、
男性よりも本能的に生きれるという。
出産と自殺
信じられない事かもしれないが、
この国では新しいタイプの
自殺が多発している。
妊娠し、妊婦や産後のうつによる自殺だ。
102人がこの自殺に該当する。
92人が産後自殺とし、35歳以上の高齢出産、
初産である事も全体の割合として高い。
35歳とは2018年では就職氷河期に該当する。
絶望の世代が、
夢も愛も団塊世代に
滅茶苦茶にされ。
やっとこさ自分の幸せを
築いていこうにも
厳しい現実に気付かされた。
自分の結婚と子育ては、
人生の墓場とはよく言ったもんだ。
本当に墓場になりかねない世の中なのだから。
つい最近、富山で起きた元自衛官も21歳。
団塊世代の孫世代が、なぜこのような強行犯罪を行うのか?先に断っておくが、これは終わりではない。
終わりではなく、始まりであるから述べるのである。
警察、自衛官などルールや規律の厳しい組織に属した時に「生きる力」は自分の心にあるルール。美徳と本能がいりまじるあやふやな青年期の心理に自律を促すと凶悪な犯罪者を生み出す可能性がある。
何故なら、自己ルールの美徳は常に自分が主観である事だ。「こんな奴、この組織に必要ない」と自己ルールが決めたら上司でも殺す可能性があるからだ。
なぜ、殺人まで犯すのか。彼らは生きる力によって鍛えられた能力とは、国が狙っていた自律の精神などではなく究極のナルシストであるからだ。
彼らは自分がこれが正しいと思えば、とことんまでルールに従う。
これは悲劇である。日本でパラダイムシフトなどの言葉が踊り出しながら、1番その言葉に不適合なのは団塊世代の孫世代だからだ。
彼らは、これこそと考えればとことんまでそのルールを溺愛する。ところが、こういうルールもあるよ?やこういう方法もあるよなど例外が生じると自己ルールを正当化するために、社会のルールよりも自己ルールを優先する。
なぜなら、彼ら団塊世代の孫世代はスマホでLINEやネットに触れてきた世代だからだ。
彼らの居る世界は、簡単に死ねという言葉が使われて、知らないうちに色々な人間から妬みや狂気的な視線、殺気を四六時中、意識してきた世代だ。
彼らは、ネットやニュースで殺意や狂気を信じ、現実世界とネット世界とのリアリズムを失った。学校では自分の良心に従って生きよなど教えられたら、ネットなどのバーチャル世界と自分の良心とが子供の世界で心理的な投影を始める。
さらに、秋葉原連続殺人など大衆を敵対視化した事件も、背景を作り出したブラック企業の副作用という部分は働いた事もない彼らには希薄である。
彼らの好きな言葉に悪魔的なというものがある。これは自己ルールや自己イメージを実現するためには悪魔にでも縋れという団塊世代に似た心理が具現化した言葉だ。
言葉も彼ら歪んだ団塊世代の孫達に、秋葉原の容疑者があたかも自分の心のルールを貫いた者に映ったりする。
国から死刑を受けても、自分の意見を貫いた様に錯覚してしまう。
そのため、新幹線の事件にしても、警察官の殺人事件にしても、ソースとなった秋葉原連続殺人事件とは心理的仕組みが異なる。
おかしな日本社会は、容疑者間の背景や受けてきた教育や文明、人間関係にはクローズアップせずに、ひたすら容疑者の異常性のみを晒してしまう。
その最もな言葉に放送コードがある。
放送コードとは、テレビなどの大衆に影響が大きい表現を規制することだ。しかし、大衆迎合教育を受けてきた日本人にとって放送コードをして、真実を伝えなければ、これほど支配者に支配し易い環境はない。
放送コードは自主規制とされるが、国家の統治のために支配層が何らかの形で関わっている事は間違いないだろう。
大衆誘導を日本メディアがしている点だろう。本当は、日本社会自体に異常性が隠れ、その狂気とも思える様な人格の歪んだ人間らが隣にいること。これが本当のリアリズムである。
秋葉原連続殺人事件は、機能不全家族とブラック企業に魑魅魍魎なモラルハラスメントをする団塊世代の上司らにより容疑者が自己表現できずに、暴走した心理的な反動形成が原因であろう。
社会全体が偽善者に見えた容疑者が、世の中全て敵だと思い、ゲームの世界とリアリティとの乖離が曖昧になった狂気の事件だ。
しかし、今回の団塊世代の孫達はリアリティとの乖離は無いに等しい。
新幹線の殺人事件も、自殺するなど言って殺人をしている。容疑者の背後に抱えるものは孤独であり、誰も死ぬ自分が分からないのかという怒りでもある。
つまり、究極のナルシストである。心理的な意味から言えば投影である。
国の教育で生きる力の究極の目的は、自己実現である。しかし、この生きる力が他者の気持ちや心情を理解する事が希薄になれば、なぜ分からないというもどかしさが生じる。
お前、俺の気持ち分からない?なら死ね!
これが、今回の富山、新幹線、京都の三容疑者の動機ではなかろうか?心理学において、他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と今だけは大前提である。
自分の気持ちが分かる人がいるという事自体が思い込みだ。
長き関係においても、心の深部に理解が及ばないのはある意味、仕方ない事なのかもしれない。
団塊世代と孫の関係
トランプの脳裏は安倍<金である
トランプは嘘が嫌いである。
そのため迎合する安倍よりも、いつ命を狙われるかもしれない中で自分に会いにきた北朝鮮の金労働委員長の方に好感がもっている。
トランプは嘘が嫌いであるがゆえに、
勇気は大好きである。
勇気には嘘がない。
見せかけの勇気に命をいくらかけても足りないものだ。さて、プレジデント トランプは北朝鮮の経済支援を日韓に任せた格好になる。
これもトランプの狙った通りだろう。
これで、日本は関係ないよと言ったのでは、トランプの今回の功績を安倍は裏切った形になり、日本的な立場は非常にマズイ。
では、どうするべきか?
トランプとキムは波長が合っている
プレジデント トランプは、アメリカの重要な役職ポジションを自分の親族で固めたり、思い通りにいかない重役をリストラしたりした。
これって。と思った方は、そうです。
北朝鮮の金労働委員長も自分のうち固めで、反乱分子を次々と処刑していきました。
アメリカは個人主義で、リストラは常ですし。銃社会でもあるため命を狙われた大統領は数知れずです。
常に狙われる立場にある者同士が、それ以上に会う事の意味の大切さを国境は違ってもトランプは自分と同じ匂いがする人間と思ったのでしょう。
安倍総理には分からんでしょうが、やはりアメリカ社会の長になるというのは、どこか人間離れした部分があるのだと思うんです。残念ながら、波長が合ったのが北朝鮮の代表であった。
それがプレジデント トランプの北朝鮮の今後について、北朝鮮への圧力という言葉を一切封印し、「何が起きたか、観ている人は感じたはずだ。」という言葉になって現れた訳です。
トランプの課題にどう対処するか?
1兆円とも言われる経済支援。
韓国は慰安婦問題を言いますが、実は植民地をして、その賠償保障費として日本は韓国に1億ドル規模の支払いをしました。
現価値に含めれば、1兆円です。
1兆円ももらっておきながら、国民生活や慰安婦問題をよくしないのは、やはり連合軍の洗脳教育以外の何者でもないでしょう。
さて、残念ながら韓国はいつの時代も日本を牽制する形しかとらないため、国として重要なポジションにつけない事も大事な判断だと言えます。
日本には金労働委員長が、安倍総理よりも会わなくてはならない人物がいる
人物とは小泉進次郎さんでしょう。
小泉元総理と、北朝鮮には深いパイプがあります。かつて、相手の国との状態が分からない中で北朝鮮の平壌に渡り、拉致問題の解決への足がかりを作ったのは彼以外にいません。
今回、アメリカのトランプ大統領と会うという偉業を達成した金労働委員長には。分からない土地で互いに罵りあっていた人物に会うという、リーダーとしての役割と実績を持っている日本人は、小泉元総理を置いて他にいない。
その小泉元総理には、そうです子供がいます。
小泉進次郎氏です。歳は36歳と金労働委員長と近く、今後の国際政治において長い付き合いになる事は言うまでもありません。
かつて、拉致問題は解決したとする本来の主張ですが、この問題を今後もガードして持ち続けるのは経済支援を先伸ばしするだけのもので、もはや水道の蛇口の栓にしか過ぎません。
小泉進次郎氏としても、ここでのパイプ作りは身近な国の真実の姿を知る勉強になります。
かつて韓国メディアは、右翼バカ四人衆と紹介した生い立ちがあり。
北朝鮮という新しいヒィールドでの知名度を上げる行為は、自身の今後の政治的な進展に深い意味を持つことになります。あと何十年か先かもしれませんが。
日本が拉致問題以外で北朝鮮に求めるべきリスト
拉致問題は、人道的な問題であり、愛着を形成する時期に親と子の仲を引き裂いた国際事件です。これを国際的なガードにする時点で、経済的な効果を生むとは考え難いわけです。
勿論、先代の拉致事件によるものを金労働委員長がぶり返すのもおかしな話です。
特に重要なのは、横田めぐみさんでしょう。夫婦は娘に会える日を何十年と待って、訴えてきました。
ハッキリと言いましょう。横田夫婦のどちらかが死ぬと、その時点で拉致問題は北朝鮮のガードしての効力を失うのです。
拉致被害者は、全国に沢山います。彼らは連れ去られた自分の家族に会う、それしかありません。
しかし、会えないまま拉致被害者が亡くなれば。それは拉致被害者だけいた事が歴史に残り、解決しなかったという事実しか残りません。
そして、横田夫妻が亡くなれば拉致問題は解決せず、経済支援の大筋の道筋は断たれた事になります。他人事で終わらせると、これは本当に後退なのです。
拉致問題をガードとして持ち続けても拉致被害者の家族が亡くなれば、国際的なガードとしての効力を失う事になります。拉致事件はそれだけしか無いのでは無いでしょうか。
経済支援を行う以外のガード
日本は確かに欧米の植民地政策を真似してきて、隣国に多大な迷惑をかけてきた歴史があります。
しかし、日本は韓国に1兆円、中国や台湾にもそれなりの戦後賠償を行ってきました。また、中国においては日本国内に工場を作らずに、これも戦後賠償として海外に作る様に政府が率先した経緯があります。
これが、皮肉にも国内の労働力を制限し、就職氷河期世代の就職先を枯渇させるもとにもなりました。今や、中国はこれら日本企業が作った工場を買収し、中国企業として再生する政策までとっています。
そのため、日本企業は中国の工場などが買収されても自分達でなければ工場を稼働できない何らかの仕組み作りも大事でしょう。
日本を恨むようにアメリカが捏造した韓国版WGIPの存在。私も噂でしか知りませんが、日本を孤立化して安全保障という名前の植民地契約を結ばせる。
日本を孤立化するためには、冷戦時代にとって重要なポジションであった韓国に捏造した憎しみの教育を徹底させた。
もはや、韓国の団塊世代にとって三つ子の魂は百まで。日本への怨みは百までなのです。前政権の賠償や、契約ですら白紙撤回する国です。
今後は日本において韓国の捏造歴史を国際裁判で訴える事、それらの働きを裏で主導した組織の存在を研究する必要がありそうです。
韓国の団塊世代、アメリカの団塊世代です。
一方で、アメリカの支配が薄かった台湾などは日本との友好は良く。地震の時では助けたりしてくれている訳です。同じ植民地をした国や地域で、差が生じた経緯もあります。
北朝鮮との外交では韓国でした様な過ち、轍を踏まない。
私達は経済支援以外で北朝鮮に何を求めるでしょうか?
ヒントの1つは教育でしょう。
北朝鮮にも韓国と同じように、日本から植民地を受けたとする教育があります。
以前に北朝鮮の大学生に、日本について問われると戦後賠償について淡々と答えていました。
これが当時の韓国の大学生ならば、恨みつらみを話すのでしょう。北朝鮮では、そのような恨みつらみを話す大学生はテレビでは見なかった為、歴史認識は韓国より実は期待が持てるかもしれません。
北朝鮮の教育に、植民地支配により国民感情で恨みつらみを煽る表現を教科書に盛り込まない事。
もう一つは、拉致問題を北朝鮮の教科書に記載してもらうこと。小泉元総理と金成日元労働委員長との間に交わした、平壌宣言。
これを広く北朝鮮の国民に知ってもらう事。教科書やテレビ、新聞等に記載すること。日本にはまだ家族の帰りを待つ拉致被害者がいる事を周知してもらう。
この問題の解決に従い、日本は戦後賠償を段階的に行う事でしょう。
日本はかつて程、豊かな国でもなく。財政面は少子化の煽りを受けて、もはや救って欲しいのは日本ではないでしょうか。
しかし、戦後賠償という国と国の紛争を正しく浄化するのであれば、教育や情報に自国の存在価値を著しく傷つけるような韓国の捏造歴史、捏造政治の二の舞になる事は防ぐ必要がある訳です。
提案として
1.戦後賠償は段階的に行う。途中で北朝鮮が違う事をしたりすれば、即刻で支援をやめる。
2・北朝鮮の体制保証を行う。日本から民主化を促すようなメディアの輸出を、日本側で規制する。
3・小泉元総理と小泉進次郎氏、安倍現総理の会談を通じ、平壌宣言の続きとなる宣言を行う。また、その時の会談内容を北朝鮮国民に知ってもらう。
4.教育面で韓国に見られるような捏造した歴史で国民感情を煽るような政治を規制してもらう。拉致問題の内容を淡々と記載し、まだ拉致被害者が日本にいる事、それらが戦後賠償や経済支援を妨げている事を北朝鮮の自国民に知ってもらう。
5.経済支援は段階的である事。
ショッキングなタイトルだが。
例えば、最近起きた殺人事件を考えてみよう。
23歳 小林容疑者 小2児童を殺害後に電車に死体遺棄1人殺害
27歳 白石容疑者 座間9人殺害
26歳 植松容疑者 障害者施設19人殺害
19歳 警察官上司殺人事件 1人殺害
22歳 和歌山のドン・ファン殺害容疑 1人殺害
22歳 神奈川県 東海道新幹線 1人殺害
合計 32人殺害
ハインリッヒの法則では、1個のアクシデントには300個のインシデントが横たわる。つまり、6人の殺人犯には1800人の潜在的な犯罪者予備軍がいる事になる。
就職氷河期と言われる31歳〜42歳くらいまでと、団塊世代の孫と言われる16歳〜30歳くらいまでには思考に決定的な違いがある。
団塊世代の孫が、教育面で受けて来た他の世代との違いは、ゆとり教育である。かわいい、かわいい孫のために就職氷河期がブラック企業で社畜として働いていた時代。
ゆとり世代は、バカのごとく遊びほうけてきた。これが徳川幕府が築いたお犬様政策ならぬ、団塊世代のお孫様政策と言って良い。
就職氷河期の教育は、団塊世代に奴隷になるための下準備だったのに対し、団塊世代の孫は1980年代〜2010年まで実施された思考型人間を製造するため、それがゆとり教育だ。
ゆとり、ゆとりと一括りにするが、ゆとり世代の心理面を紐解くなら先ず、ゆとり教育とは何か?何のためのゆとりだったのか?から調べる必要がある。
これが、ゆとり教育の影響を受けなかった30代、40代と心理的、思考的に違う心情を抱かせた教育だったからである。
警察官が警察官まで撃ち殺してしまう団塊世代の孫達の心理面とは?
団塊世代は、奴隷層となる就職氷河期の世代には・・・
「詰め込み教育」と言われるブラック企業体制に必要な大衆迎合教育を徹底的に施した。なんと就職氷河期世代は生まれた時から奴隷と人生が決められた。
先の世代が後の世代を政治コントロールによって奴隷化するのがこの国の真実ではなかろうか。そして、自分達の孫には自分達の後を継いで欲しいと願い、「思考型」教育を徹底した。
思考型教育と詰め込み型教育。
今、世代が違うだけで2つのタイプの日本人がいることになる。全ては団塊世代の歪んだ政治コントロールにより狂わされた、屈折した人々である、大事なのはどの部分が屈折したかだ。
団塊世代の孫となるゆとり世代。ゆとり教育が提唱された1980年代〜2010年までとすると幅広い。ゆとり世代のゆとり教育が他の世代と異なる思考回路を持つ様になったのは、1996年に提唱されたゆとり教育の一部「生きる力」が影響した可能性である。
2018年〜1996年を差し引く22年前だ。この時代から冒頭で挙げた容疑者らの年齢から差し引きすれば学校教育の小〜中までに影響を受けた可能性は理解しやすい。
まずは、ゆとり世代と言われる中で現在の2018年から考えた22年前からを本当のゆとり世代と呼ぶ事にしよう。
生きる力が殺す力になりうる理由
「生きる力」の三本柱に、政府は知・徳・体を定めた。ここで大事なのは、この知・徳・体が「何をもって」「誰にとって」「干渉的になる」の3つである。
例えば、徳は道徳を意味し、犯罪行為の抑止的な働きを念頭にしたといえば誰からも分かりやすい。しかし、現実にこの生きる力の徳が重大な犯罪者を生み出している可能性がある。
ゆとり教育の徳の定義とは、豊かな人間性と前置きし、『自らを律しつつも、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性』とある。
この文章には特筆すべき矛盾点がある。
自らを律しとあり、次に他人とともに協調するは適当な部分がある。何を基準に自分を律し、自律と協調のどちらを優先するかが抜けている。
自分の精神状態により自律など、ある時は利を優先し、ある時は美徳を優先する。どちらを優先するかを子供らに任せている。自律は大切かもしれないが、案外、自分を律する自分などたかがしれていたりする。
第1に自分とは不変的なものではなく、環境による影響を受けやすい。
第2に、いかに強い信念を持っていても、それが自らの思い込みであり、他者の考え方を理解しようとしなければ自律など不可能だ。それは自律ではなく、自己中心だ。
第3に、美徳とコモンセンスがこの国は明確に切り分けできずにいる。痛みの経験や感覚の無い子供に人を思いやるなどは美徳である。この国は、美徳を優先している。
自律で重要なのは、自らの基本的欲求を知ることである。でなければ不必要な干渉、情報の収集、出来すぎた自己尊大が生まれる。
そのような教育下では、悪魔に魅入られた子供が出来やすい。
精神的に健全性がある子供に大衆的な徳は有効だが、不健全的な環境で成長した子供には反大衆的な徳がルールになる。
反大衆的な徳、それは子供が持って生まれたであろう基本的欲求とこの大衆的な徳が矛盾した関係にあるときだ。
その時に、その子は自らの人生を呪い、社会に対して怒りを覚え、運命に対して憎しみを持つ子供になる。
これに団塊世代特有のモラルハラスメント的な社会心理が融合すると、自己中心的な犯罪者を作り上げる可能性がある。
他人を思いやるとはこの国においては迎合の強要であ。自らを律するとは対極にある。そもそも社会で他人を思いやる事など、例えば、それが自分の親なら分かる。それが恋人でも同じ、そして子供でもそうなる。
共通しているのは愛着である。
人生において、本当の思いやりとは愛着の有無でしかない。愛着があるから自然界では、愛する者の為に命を張って守るという事が起きる。
そう考えると、政府が定めた徳は美徳である。
それは、あたかも日大の悪質タックル問題での監督の思考回路と似る。日本女子レスリングのパワハラ問題での監督に見られる団塊世代の特有の考え方だ。
上司、部下、先輩、後輩、仕事仲間、同級生、幼馴染みなども一括りにすれば他人である。
愛着がなければ他人なのだ。美徳を利用して迎合を煽る縦社会。
構築した日本に他人を思いやるなど自殺やハラスメント行為の根源にまでなる。この国の定めた徳には、常に犠牲者が存在した。
徳を利用して人を支配してきた団塊世代。大衆迎合教育の根幹となる部分は、皆同じが前提である。皆同じという社会主義的な発想。
その考え方から日本は多様的な生き方があるという視点は矛盾している。しかし、メディアや広告は多様的な生き方があるという嘘を流す。
もし、そういう社会があるならば1人でも生きれる仕組みがあるはずである。しかし、現実的にはどこかの組織に属して、迎合しなければ生きれない。
なんとツマラナイ世界だろうか。
皆同じと言いながら、実は同じではない。そんな分かりにくい教育を全員に施すのだから。日本とは、なんとも分かりにくい生きづらさに満ち溢れている。
団塊世代とモラハラ
団塊世代の孫世代が、凶悪犯になりやすい仕組みを説明する前に順を追って、団塊世代とモラハラについても説明する必要があると思った。
連合軍のWGIP教育は、日本人に自らを悪く思えという暗示を施した。これは今までの説明で一貫している。今回は、この自責の念とモラハラとの関連を説明したい。
団塊世代は、その台頭であり、そのような暗示を受け続けた世代だ。自責という自己否定的な心理作用が動物的心理としてどう働くか。
就職氷河期の奴隷層の製造も、WGIPの心理的な効果によって団塊世代から生み出された。
太平洋戦争で、日本が悪い悪いと言い続ける団塊世代。日本が悪いと自らに言い続けると、脳にどのような効果が生まれるだろう。
これは、生まれてくる子供に「なんで生まれてきたの?悪いと思わないの?生きている事に罪を感じないの?」と言っているのと同じである。
否定する人もいるだろうが、自己否定感を教育に組み込まれた日本の教育は、この時点でアイデンティティの獲得を否定された事になる。
なぜなら、人間の脳は主語が分からないからである。
体系的に理解する、日本が悪いのであって自分は悪くないと思うとする。アイデンティティとは自己肯定感とセットである、他人がどうであっても自分は自分という肯定感だ。
本来ならアイデンティティを否定されれば、怒りが発生する。しかし、真珠湾攻撃を否定しても、原爆投下を肯定する思考回路は、洗脳以外の何者でも無い。
日本人というアイデンティティを獲得しようとする過程で、その事がよぎるたびに自己否定の暗示がかけられる。
自己否定された人格は、暴力や暴言に対して強い自己主張ができない人、つまり「何も言えない」人になる。
その最も顕著な例が『言い訳をするな』ではなかろうか?就職氷河期の世代の台頭的な教育が『言い訳をするな』である。
これは、団塊世代が自分達に都合のいい世代を作ろうとし、日本を滅ぼした言葉の代表である。
言い訳をするな
たとえ団塊世代に非があっても、結局は年下のお前が悪いとなる。なぜ、団塊世代はこんなヤクザ的な言葉を使ったのか?
これは年功序列による文化的な背景でなく、年功序列による、人権や未来さえ否定可能な日本独自のシステムだ。自己否定された団塊世代の人格は、お前は悪いと思わないか?と言われた方は何も言えない。
美徳で相手を縛るとは、そんなに迷惑をかけて、お前は私に罪悪感は無いのか?それなら世間にお前がいかに酷い人間かを言いふらす。
陰口好きは、こうして美徳で相手を縛る。
だから団塊世代はアメリカに本音では言いたい事があっても抑圧してきた。WGIPの洗脳により、アメリカに迎合して抑圧されたものは反動形成となる。
その反動形成がイジメである。
心底まで自己否定に追い込まれた団塊世代は自殺に追い込まれる。アメリカに楯突かず迎合する事を本能的に植えつけられた団塊世代は、イジメの対象を探す。
就職氷河期世代をイジメたい世代として、教育的な洗脳を施すことは無意識に団塊世代はそうしているとは言え、WGIPの毒としてはしっかりと機能している。
自分の否定を教育に植え込まれ、さらに美徳的な周囲が気になる目で見られた団塊世代は自分自身の否定。つまり、自殺という行動をとる。
このような社会は良い人はいなくなる社会ではなかろうか?気づけば幸せな人が一人、また一人といなくなるのが、このご時世ではなかろうか?
WGIPの自己否定を義務的に強要し、多種多様な家庭や背景があるのに皆同じという環境や文化を与える社会は、自分は他と違ってたという受け取り方を否定する。
同じじゃないと不安になる社会だ。
社会全体が、人と違う事で不安に感じ、人と同じで安心する様な社会は不幸な人をより多くする。多かれ少なかれ、人と自分は違うもの。
同じ人間なんて1人としていないのだ。
日本社会は、その真実には目を伏せる。
そうそう。
日本人は試験好きだ。
試験をして何になるか?
日本の試験は、いかに自分を捨て、
他者のためにつくして来たか?
この事を説いている事が多い。
自分を捨てなければ、
試験は合格出来ない様に出来ている。
人間関係、愛、友人、恋人、お金。
それらのいずれかを捨てよと説く。
誰がか?
親である。
何のために試験に頑張るのか?
親の愛情が不足していたからである。
不足していることをWGIPは、また隠す。
本当は、両親から抱きしめられたい。
なのに、自分にも嘘をつく団塊世代がなんと多いのだろう。
嘘をつきながら生きる社会。
大人の世界とは、アメリカに敗戦した時から、そんな社会に成り下がった。
WGIPに洗脳された団塊世代は弱い立場にある人間をイジメ、自分が敵わない相手には徹底的に下手に出る人間である。団塊世代にはこのような人間が自殺をせずに生き残ってきた人口層がとても多い。
⑴職場で何も言えない人間は、家庭で妻や子供を締め上げてきた。
⑵上司にグゥの音もでない人間は、部下を怒号で締め上げる。
⑶生徒や試験を受けるもの、受からせる者などの立場的な権力を利用したハラスメント行為
このように腐った団塊世代の心理を見事についた言葉に魑魅魍魎(ちみもうりょう)という言葉がある。語源は山や川の化け物を意味する。
現在では、会社の中で自由にルールなくやりたい放題やっているブラック企業の独裁者を指したりする。
独裁者は、様々なものを利用する。根底にあるのが刑法だろう。刑法は殺人に対して極刑を定め、殺人以上の犯罪を軽視する。
実際には殺人以上の人生を奪われるような事件がワンサカしている。しかし、美徳を盾にしたモラハラ達の他人の人生を壊したい様な願望。
それは自らの欲求を言葉で表現できないからである。
江戸時代は魑魅魍魎を働けば殿様以外は、その場で首を刎ねられる可能性があった。
また、仇討ちも役所に届ければ合法だった。今よりも人から恨みを買うことがリスクが高い時代だった。一度しかない人生を正直に生きるとは、江戸時代の言葉である。
今の時代は戦争に負け、WGIPの洗脳を受けた団塊世代が大量に生まれ、人生は一度しかないから嘘をたくさんついても良い。そんな魑魅魍魎な人間ご、美徳を利用して自分の家来をたくさん作りたい世代、それが団塊世代の真実の姿ではなかろうか。
まさに、妖怪。化け物だ。
魑魅魍魎の中に、魅力の魅が使われているところ。昔の人間にもモラハラについて知っていたのかとも思えます。
魑魅魍魎な団塊世代が、真っ先に目をつけたのが就職氷河期の奴隷層の創出。政治コントロールや就職面接を厳しくし、この時代の若者の社会進出を阻害。
恐ろしいブラック企業がいくつも建ち並びはじめた時代です。会社ではお仕置き部屋なるものがあり、団塊世代のおぞましいハラスメント行為が多くの企業で見られ始めました。
自分が悪いことをしているという認識がない団塊世代
魑魅魍魎な団塊世代は、自分に悪い事をしているという認識がない。あるのは飢えた自分である。この魑魅魍魎な団塊世代は、部下や生徒などに無理難題を敷いてきた。
○○までにこの仕事を終わらせてね。や、○○ぐらいは全部勉強出来ないとダメだなどである。ある専門学校では、全1000ページ以上ある大辞林にあるような内容を試験範囲とした所もある。
生徒の頑張りを職員室での自分の手柄に変える魑魅魍魎な団塊世代。ブラック企業では自分の仕事をさせて、自分の手柄にする魑魅魍魎な団塊世代は何人いただろう?
このように言われた人間は、『言えない人』になる。
実は心の世界では燃えたぎる様な憎しみを持っている。自己主張できない人間を作り出す。
それが、その人間の基本的欲求を阻害し、人生を破壊する事にまで繋がるとは考えなかった。魑魅魍魎な団塊世代は、主体は悪魔で自分なのだ。
団塊世代は、決して学問を好きにさせ様だとか、仕事をどうすれば上手くいくかなどを考えてきた人間は少ない。
魑魅魍魎な団塊世代の生き方は、どうすれば環境を酷くでき、酷い環境下で、いかに自分が良い、あるいは優れた人間かを見せる事ばかりに人生を消化した化け物である。
それが、日本は戦争に負けて、自分達のお陰で立ち直ったという言葉になる。何て事はない、日本が経済的に発展できたのは、アメリカがすでにレールをしていたからだ。魑魅魍魎な団塊世代の功績など無いに等しかった。
やがて、団塊世代がメッキをはってきた神戸鉄鋼、東芝、東電などが大災害の働きもあり剥がれ落ちている。
団塊世代の孫と魑魅魍魎
祖父が魑魅魍魎だと、孫はどうなるか?
どれだけ、子供に偽りの良き
父の背中を見せても、
子供は父の背中に眠る
残忍さを知らぬ間に
心の中に取り込んでいる。
これをエディス・コンプレックスという。
心理学の世界では、父親の凶暴性と
母親への愛情が心にやどると
二面性が出て来る。
やがて、母親への愛着形成を
別の形に置き換える事で
エディス・コンプレックスは克服される。
しかし、人の世は文明があり、
教育があり、家族がある。
さらには、異なる家族同士の結婚があり、
段階状に社会がある。
これらが成長期の幼児にどの様な
影響を与えるかを、大人の私達が
評価する尺度を持っていない。
社会で生じる様々な問題に
精神科医であるアドルフ・アドラーは
全ての問題は人間関係にあると説いた。
全ての問題が人間関係にあるならば、
魑魅魍魎な団塊世代の孫達が
どんな風に考え、思い、行動を起こすのか
魑魅魍魎であるが故に見えなかった。
祖父という存在
孫にとって祖父とは、
内孫、外孫で異なるが
ある意味で一家を
まとめるべく主人でもあり、
それは時として安全基地にもなりうる。
母親争奪戦に負ける子供にとって、
父は絶対的な存在に見える。
その父に、魑魅魍魎な祖父がいると
子供は父を越えるためには祖父になる
必要があると思う様になる。
何と、エディス・コンプレックスの
克服のために、祖父の姿を父の代わりとして
投影する訳である。
これが団塊世代なら、
孫は魑魅魍魎な部分を真似して、
父への憎しみを晴らそうとする。
教育と幼児
日本には、個人1人1人の個性を見るよりも、いかに集団で他と同じです。人並ですと見せる事に重点を置いた教育だと気付いた人はどれだけいるのだろうか。
例えば、号令だったり日々の学校生活でも、必ず学校の中に居る必要がある。そして、必ず学校の授業を受ける必要がある。宿題は、全ての生徒が同じ課題を共有し、家庭に帰宅しても、塾や習い事の縛りを受ける。
こういう社会は、他と違う事を不安に感じ易い社会であり、他と違う者に恐怖を感じたり、不安を感じたり、嫌悪感を抱いたりする。
この人は、こんな人と素通りできない社会である。ある者は過干渉になったり、ある者は迎合したりして嘘まやかしの社会になりやすい。
そう言う意味で、生きる力という
ゆとり教育の大変化が教育界になされた。
私達は、この生きる力が社会に何をもたらすかを考えなければならない。
南北首脳会談のターゲットは日本
安倍晋三はやはりトランプの事を何も理解していない。これ以上、彼が首相を続ける事に危機感すら感じる。
韓国、日本、北朝鮮といる中で現在、1番お金を持っている国は日本であり。トランプの狙いはまさに日本のお金にある。
安倍晋三は、トランプと11時間も話したと強調するが11時間もこのご時世で話すより用件を手短にし、あらゆる選択肢をフローチャート化しスピーディな物事の決め方が求められる。
団塊世代特有の押し売り的な、買うまでどきませんスタイルではゴルフ外交などをして誤魔化されてしまう。
在日米軍が引き上げると、日本は自衛隊に日本を守る必要ができる。つまり、アメリカは沖縄から米軍を引き上げて、空いた部分の国防にアメリカの武器を買わせる事が狙いなのである。
安倍首相の憲法改正の前にやらなくてはならないのは、日本の特定の地域で日本企業による武器の製造である。それが国内の国防だけでなく、国益や産業の発展に極めて重要な意味を持つ。
安倍晋三の憲法改正などというボスをいきなりとりにいく手が少年政治。今、日本にはかつて無いようなプレッシャーが集結している。中国、ロシア、アメリカ。
この三國に、お金を持った老人国家が横たわっている。まさに窮地、それが国民はメディアからの洗脳で気づいているものが少ない。