日本国憲法は無効!!①-1改 占領下の主権が回復していない状況下で、憲法改正できるはずがない!! 通説である八月革命説は、理論破綻している!! ハーグ陸戦条約違反!!
2012/6/8
日本国憲法の改正について、最近議論が活発になってきています。しかし、本当は、石原維新共同代表が言われるように、日本国憲法は、無効であり、破棄すべきものだと思います。
そう思う根拠・学説について、僭越ですが、ご紹介させていただきたいと思います。
それでは、まず、通説をご紹介します。
通説は、「八月革命説」といわれるものです。
以下、ウィキペディアからです。
『 「八月革命説」
八月革命説(はちがつかくめいせつ)とは、1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定したと考える学説のこと。主権の所在の移行を、法的な意味での革命と解することから、八月革命説と称される。憲法学者・宮沢俊義により提唱された。
八月革命説に対する批判
八月革命説は、説明に法的な擬制を用い、「革命」というセンセーショナルな語を含むため、発表の当初から様々な批判を受けた。
一番の批判点は、そもそもポツダム宣言やバーンズ回答は国民主権の要求を含むのかという点にある。
また、仮にそのような内容を含むとしても、多分に政治的な要求、又はせいぜい国際法上の義務を負ったに過ぎず、主権の所在が移行したとまでは言えないのではないかとの反論である。
戦時国際法によればポツダム宣言の条項は、占領軍の撤退条件として例示されているものであり、また国際条約の締結をもって憲法の根幹が変更される(革命)と見なす場合、憲法に対する国際法の優越という別の問題が発生する。
またハーグ陸戦条約附属書43条との整合性が問題になる。
さらに占領政策下における国民主権という、実態や事実にあわない法理になっているのではないか、との論である。
ポツダム宣言の受諾当時、日本政府に天皇主権から国民主権に変わったという認識はなく、ポツダム宣言受諾以後も明治憲法は維持され、それが1946年11月3日公布の日本国憲法へと改正され、翌5月3日の施行にまで至ると解すべきではないか(憲法改正説)との論もある。
これらの見解に対する明確な反論は過去になく、八月革命説は長く通説としての立場を占めているのであるが、八月革命説はあくまで主権の移行に関する法的な説明をするための法理であって、事実経過に関する説明をするための見解ではないし、日本国憲法の成立の経緯に正当性を与えること目的としたものでもない。
これ以外にも異なる見解は多数提出されているが、八月革命説に替わり得るまでの有力説の登場には至っていない。 』
この説は、占領下での憲法改正という批判をかわすため、革命という意味不明の概念を持ち出し、革命によって憲法が自動的に変わったとしました。しかし、革命後に占領されているというのは実におかしなことで、つまり日本で革命など起きていないということです。
したがって現在この説は、急速に支持されなくなってきています。
その証拠に、最高裁は、この説をとっくに捨てていて、「承認説(追認説)」をとっているそうです。承認説とは、本来日本国憲法は無効だが、60年以上使ってきているので、有効にしましょうという説です。たった60年で、有効にしてしまうというのも、また納得できません。
このように、有効論には、有力な学説が無いのです。それは当たり前で、占領下で憲法改正ができるという法理論が、存在しないからです。
次に、
平成国際大学教授 高乗正臣先生の論文
「憲法改正論の系譜」を転載させていただきます。
長文となりますが、ご了承ください。
『 はじめに
日本国憲法の改正を論ずる際、まず、明確にしておくべきは「改憲のあり方」である。同じ改憲といっても、それには「補修的改正」から「復元改正」「無効破棄」「自主憲法制定」に至るまで、様々な立場がありうる。
それはとりもなおさず、現行憲法が、占領下、連合国総司令部民政局員の手で短期間のうちに起草され、その基本原理を根本的に変更したにもかかわらず、手続上は帝国憲法の改正手続を経て成立したという特異な事情に起因する。
改憲のあり方についての立場の相違は、現行憲法の成立過程をどのように見るかという見解の相違と対応する。
すなわち、「補修的改正」論者は現行憲法が正規の憲法として有効に成立したという前提に立つが、他の三者は現行憲法の成立過程には重大な欠陥があり、正規の憲法として有効に成立したとは説明できないという立場に立つ。
その意味から、ここではまず、日本国憲法成立の法理に関する学説を批判的に検討することにしよう。
以下、有効論、無効論および 占領管理法説を見てみよう。
有効論ー①八月革命説
宮澤俊義教授によって唱えられた説(1)である。まず、宮澤教授は憲法の改正には限界があるという立場をとる。
すなわち、憲法そのものの前提となっている根本的建前によって、改正手続自体がその効力の基礎を与えられているのであるから、その手続で根本的建前を改正するということは「論理的に不能」であるという。
つまり、「天皇が神意にもとづいて日本を統治するという原則は、日本の政治の根本建前であり、明治憲法自体もその建前を前提とし、根底としていた」のにかかわらず、「明治憲法の定める改正手続で、その根本建前を変更するというのは、論理的自殺を意味」するという。
ついで、宮澤教授は昭和二○年八月一一日の連合国回答(いわゆるバーンズ回答)を問題とする。ポツダム宣言の受諾に際して「国体護持」の条件を付したわが国の申入れに対する連合国の回答がこれである。
この回答は、「最終的の日本国の政治の形態は、『ポツダム』宣言に遵い、日本国国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとする」というものであったが、
教授は、これは「日本の政治についての最終的な権威が国民の意思にある」ということ、
すなわち「国民が主権者であるべきだ」ということを意味しているから、この回答を前提にポツダム宣言を受諾したと同時に、わが国に法学的意味でいう「革命」が起こり(正当な法的手続を経ずに主権者が代わり)、天皇主権から国民主権に変わったという。日本国憲法は、この法学的意味でいう「革命」によって新たに主権者となった日本国民により有効に制定された憲法であるという。
ところで、ここで注意すべきことは、宮澤教授は、この「革命」によって帝国憲法が廃止されたとは見ていない点である。
教授によれば、帝国憲法の規定は「革命」によってもたらされた新しい建前に抵触する限度において変わったと見るべきであって、その建前に抵触しない限度においてはどこまでも帝国憲法の規定に従って事を運ぶのが当然だ、とする。この意味からすれば、日本国憲法の成立が帝国憲法七三条の改正手続によって行われたことは妥当ということになる。
この点について、清宮四郎教授は、同じ革命説をとりつつも、帝国憲法の効力に関する宮澤見解に疑問を提示する(2)。
すなわち、清宮教授は、ポツダム宣言の受諾と同時に、「明治憲法は根底から動揺し、第七三条も、憲法改正規定としての資格が疑われるに至った」と述べる。
ついで、教授は「日本国憲法は、明治憲法にもとづいて制定されたのではなくて、国民が、国民主権の原理によって新たに認められた憲法制定権にもとづき、その代表者を通じて制定したものとみなさるべきであ」り、「その制定行為を明治憲法第七三条による改正行為とし、新法と旧法とに『法的連続性』をもたせることは、法的には説明のできないことである」という。
八月革命説に立つ限り、清宮説の方が論旨が一貫し、説得力に富むといえよう。論者は、この清宮教授の見解を「純粋革命説」と呼ぶ。
八月革命説に対する疑問
一時期、学界の多数説となった八月革命説には根本的な疑問がある。
第一に、ポツダム宣言と、その受諾に関する日本政府による国体護持の申入れに対する連合国回答(バーンズ回答)の受容は、果たして、革命説がいうように天皇主権から国民主権への移行を要求していたか疑問である。
まず、この説が根拠とする「国民の自由に表明する意思」による政府の樹立という文言は、同様の表現をとる「大西洋憲章」や「国連憲章」を見ても、「外国の干渉を受けることなく、自国のことは自国で決める」という意味での民族自決原則の表明としかとれず、バーンズ回答やポツダム宣言の文言のみを「国民主権」を要求するものと解釈するのは無理である。
第二に、佐々木惣一博士が指摘するように、ここにいう「日本国国民(Japanese people)」とは、天皇に対立する国民の意味ではなく、日本国家を構成する日本人、すなわち、天皇を含む「日本国人」と解すべきであろう(3)。
したがって、ポツダム宣言は、日本国の最終的な政治形態(天皇の地位を含む政治形態)は、日本国の構成員自体が自由にその意思を表明して決定すべきことを要求したものであって、この意味からも「国民」の文言をもって国民主権の根拠とすることはできない。
さらに、バーンズ回答にいう「最終的」(ultimate)という語は占領終了後を意味すると解され、また、「日本の政治の形態」(form of Governmentof Japan)は、あくまでGovernmentすなわち政府の形態であり、form ofthe Stateすなわち国家の形態ではない。
もし、後者だとすれば「主権の所在の問題」となるだろうが、そうではない。むしろ、ポツダム宣言10項では「民主主義的傾向ノ復活強化(revival and strengthening」とあることから、バーンズ回答もポツダム宣言も、主権の所在の変更を要求したものではないとする見解も説得力がある。
以上述べたことのほかに、八月革命説には致命的な欠陥があるというべきであろう。
革命説は、法的意味での革命によって主権が天皇から国民に移行したと主張するが、事実の上で誤っている。
事実からいえば、主権は天皇から国民へ移行したのではなく、紛れもなく連合国最高司令官に移行したのである。
先のバーンズ回答が述べるとおり、「降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ・・・連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ(subject to)置カレ(4)」たのであって、「国家意思を最終的に決定する力」という意味での主権が国民に移ったなどということは、全く事実の基礎を欠くものである。
これらの点から、八月革命説は理論的に破綻をきたしている。この説は、占領下という異常な状況の中で、何とか日本国憲法の有効性を導き出そうとして案出された「政治的」な理論といえるであろう。この意味から、八月革命説に基づいて現行憲法を有効なりと結論づけることは妥当ではない。
①-2へ続きます。
誰が殺した? 日本国憲法! | |
倉山満 著 | |
講談社 |