①-1の続き
有効論ー②改正説
佐々木惣一博士によって代表される見解(5)である。佐々木博士は、改正手続による憲法改正には何ら限界がないという立場に立って、現行憲法は帝国憲法の全面的な改正憲法であり、有効に成立したとする。
つまり、現行憲法は帝国憲法七三条の定める天皇の提案、帝国議会の議決、天皇の裁可という手続によって成立したものであるから、内容的に帝国憲法を全面的に変更したとしても、革命によって成立した憲法ということはできないとする。
博士によれば、日本国憲法は天皇が制定されたものであるから「欽定憲法」というこ とになる。
また、博士は、右に見たバーンズ回答でいう「最終的の日本の政治の形態」の内容について、回答は何もいっておらず、その内容の決定については「日本国人」の自由に表明した意思に委ねているのであるから、ポツダム宣言受諾後も、帝国憲法は従来通り完全に有効であるとする。そして、回答にいう最終的な日本の政治形態の選択・決定は占領政策とは関わりなく、日本側の自由意思によってなされうるという。
改正説に対する疑問
この見解が立脚する憲法改正無限界論が妥当であるか否かについては議論があることを別としても、ポツダム宣言受諾後も帝国憲法が従来通り完全に有効だとする点には疑問がある。
先のバーンズ回答が示しているように、現行憲法は「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限」が「連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カレ」る状況で成立したのであるから、帝国憲法はその機能を停止していたと解さざるをえない。
ところで、主題とは若干それるが、ポツダム宣言とバーンズ回答については一言しておく必要がある。
ポツダム宣言は、知日派として著名であったグルー国務次官が日本本土決戦を回避することを狙いとして起案したもので、わが国の主権喪失という意味合いを極力避けようとした意図が見てとれる。すなわち、同宣言は、
①無条件降伏をするのは日本政府ではなく軍隊であり(一三項)、
②日本の主権は本州、北海道、九州および四国等に限定され(八項)、
③占領の対象は日本国領域内の諸地点で(七項)、
④国民の間における民主主義的傾向の復活強化は日本政府の責任であり(一○項)、
⑤平和的で責任ある政府が樹立されれば占領軍は撤退する(一二項)、
と定めていた。
この宣言を読むかぎりわが国は無条件降伏をしておらず、まして占領者が憲法の制定権を有するなどということは出てこない(6) 。
しかし、ここで動きがあった。
まず、七月上旬、グルーの方針に批判的なバーンズが国務長官に就任し、ついで八月に行われた広島・長崎への原爆投下とソ連の参戦によって日本の敗色が一層明確になった。
ここに来て、アメリカ国務省はポツダム宣言に見られる慎重な配慮を捨て、宣言には関わりなく無条件降伏の姿勢で臨もうとしていた矢先、わが国からの前記「国体護持」確認照会の申し入れが発せられた。
バーンズは、これを好機として前記の天皇および日本政府の統治権限は連合国最高司令官に従属する(subject to)という回答を示した。
バーンズ回答は明らかにポツダム宣言のラインを超えている。占領の対象を国内の諸地点としていたポツダム宣言と異なり、回答は天皇と日本政府の上にそれらを従属させる絶大な権力の存在を容認させるものであった。わが政府が、これを受諾した以上、占領期間中に帝国憲法が従来通り有効に機能にしていたとすることは無理であろう。
右に見たように、八月革命説と改正説には無視できない重要な疑義がある。
このため、現行憲法が有効に成立したという前提に立った改正論ー有効論に基づく「補修的改正論」ーには法理の上で無理があるといわ ざるをえない。
無効論
井上孚麿教授(7)、相原良一教授(8)などによって唱えられた説である。
この立場は、改正の時期や方法などを理由として現行憲法が無効であることを主張する。
まず、第一に、帝国憲法が改正された時期はわが国の国家統治の権限が連合国最高司令官に従属している時期、すなわち国家の統治意思の自由のない時期になされたこと、
第二に、現行憲法の 成立過程の全般にわたって占領軍による「不当な威迫、脅迫、強要」が存在したこと、
さらに第三に、帝国憲法の改正は、占領者は絶対的な 支障がないかぎり占領地の現行法を尊重すべきことを明記するハーグ陸戦法規(一九○七年)に違反していること、
などを根拠に現在も現行憲法 は無効であるとする。
これとは論拠を異にする見解に、小森義峯教授の「非常大権説(9)」 がある。この立場は、ポツダム宣言の受諾と現行憲法の成立を、帝国憲法三一条に定める天皇の非常大権の発動として説明する。
つまり、ポツダム 宣言の受諾は天皇の非常大権の発動によってなされたものであるから、それを原点として成立した現行憲法は「暫定基本法」としての性格を有するに過ぎず、「憲法」としての性格を有しない。憲法としては、占領期間中といえども、あくまで「大日本帝国憲法」が厳存した。
ところで、帝国憲法は占領下では「仮死」ないし「冬眠」の状態にあったが、 占領解除の時点において「法理上当然に非常大権の発動は解除され、帝国憲法は完全に復原した」とする。教授によれば、今日でも憲法としてはあくまで帝国憲法が厳存しており、日本国憲法は帝国憲法に矛盾しない限りにおいてのみ「基本法」として有効であるという。
無効論に対する疑問
無効論が指摘する憲法改正の時期、方法の問題と国際法違反の指摘は説得力に富む。
たしかに、統治意思の自由のないところに憲法の改正も制定もあり得ない。成立過程を客観的に見る限り、占領軍による「不当な威迫、脅迫、強要」があったことは事実である。
有効論に立つ論者が、昭和二一年四月、男女平等の普通選挙制度によって行われた衆議院議員総選挙を強調し、第九○帝国議会において国民 の自由意思によって憲法の改正が審議されたなどと主張するのは、全く事実を無視する議論である。
なぜなら、今日では、すでに評論家江藤淳氏の一連の労作(10)によって、当時GHQによって行われた徹底的な検閲の実体が明らかになっているからである。
憲法の正統性を論ずる際、成立過程の事実を無視ないし軽視して、成立した憲法の質や内容を問題とする「結果本位、実益本位」の考え方は、 結果さえよければ植民地支配さえ正当化するという不当なものである(11)。
この意味から、無効論は法理論として筋道の正しさを失っていない。
ただ、次のような批判は成り立つであろう。
①強要あるいは強制があったとしても、日本国民が最終的に自発的意思によってこれを受け 容れたとすればどうか。その場合には、現行民法九六条の「詐欺又ハ強迫ニ因ル意思表示ハ之ヲ取消スコトヲ得」という法理、すなわち取り消さ ない限り強迫による意思表示も有効として扱われることにならないか。
②上記の「非常大権説」がその根拠とする帝国憲法三一条は、戦時または 国家事変の場合に軍隊の活動のために必要な限度内で法律によらずに人民の権利・自由を侵害できることを定めた規定であり、憲法の全面停止 を意図した規定とは解釈できないのではないか、などがこれである。
これらの点はしばらくおくとしても、戦後五十余年間、今日に至るまで、 日本国憲法という法典が存在し、それが現実に法的拘束力をもって機能しており、大多数の国民がこれを承認しているという厳然たる事実が 存在する。現実に拘束力をもっている法規範がなにゆえに効力がないのか。
無効論に投げかけられる疑問は、むしろこの点にあるといえる。この 無効論の弱点は、そのまま「復元改正」論や「無効破棄」論の弱点となろう。
①-3へ続きます。
誰が殺した? 日本国憲法! | |
倉山満 著 | |
講談社 |