名古屋千年ゼミ

持続可能な社会について、みんなで考えます!

ゆっくり,まったり対話する場…♪

第4回名古屋千年ゼミ議事録2

2012年01月02日 | 名古屋千年ゼミ
続きです。

飛び入りで参加してくださった方に、簡単に名古屋千年ゼミでやっていることを説明してから、自己紹介、さらには最近思っていることについて話していただきました。
その内容をかいつまんで書かせていただきます。


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[自己紹介]
・徳林寺の隣の幼稚園にお子さんが通っている。
・徳林寺で「つながりのまつり」というイベントの企画をした。
・きっかけはやはり震災。鎌仲ひとみさんの「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画の上映イベント。
・もともと以前に「六ヶ所村」という映画を観ていて、原発を取り巻く問題に対するどうすることもできないやりきれなさを感じた経験があった。
・原発の事故を受けて、つながりのまつりを企画したが、幼稚園の保護者の方々の反応は予想に反して冷ややかだった。活動家だ、ともいわれ少し落ち込んだ。
・しかし結果としてたくさんの人が来てくれた。
・イベントに参加してくれたアーティストの方に「今後は絆を大きく広げていく時代だ」との言葉をもらい、自分には何ができるのか、考え始めた。

[最近思っていること]
・もともと高野先生の「千年持続学校」に参加したかったが、徳林寺でも同じようなイベントが始まりつつあることを知り、ここで頑張っていくのも良いと思った。
・都会で暮らしていると、農村や里山で楽しそうな生活をしている人が居るということを意識する。社会に何が起こっても、揺らがない、そんな暮らしがしたい。
・毎日火を囲んで語り合い、自分たちの食べ物を、自分たちで作って暮らす、そういう暮らしがしたい。
・知多の美浜にお金を使わないで暮らしている家族が居る。そういう生活も可能なのだと知った。お金を持っているとなにかと不安になる。
・大きなことをやろうと頑張ると、右肩成長を意識せざるを得ない。すると、その先が気になって仕方が無くなる。
・例えば自分より七世代先も、右肩成長していると言い切れるか?
・長いスパンでみると、ビジョンが全く描けない。
・○(輪)になれば、成長を意識しないから、長期の見通しが立てられる。落ち着いた暮らしがしたい。

[原発の問題に対して思っていること]
・原発に対してはNoであるが、激しいデモや、運動をしてもわかりあえないのではないかという思いもある。
・実際に省庁に電話をかけるという協力もしたが、マニュアル対応、早く電話を切らせたい、というような態度で胸が苦しくなり「この人たちとはわかりあえない」と思った。
・Yesの方向の人たちにも、ゆるやかにNoの方向に顔を向いてもらうことはできないのだろうか?
・違う考え同士をぶつけあっても、ケンカにしかならない。だから自分は自分で信念を貫くことで、周りが影響を受け、心を動かしていくことができるのではないか。ともにいい方向を探せるのではないだろうか?
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非常によく考えていらっしゃる方だと思いました。
来ていただけて、本当にありがたかったです。

○(輪)を描いて、長期の見通しが、ビジョンが描ける暮らしというのは、持続可能な社会そのものではないでしょうか。




さて、、以後はちょっとテーマが入り乱れてきましたので少々読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。。

[人間の生きる上で「考える」ということについて]
・人間は社会の中で生きている。社会の中で生き、考え、行動する。
・だがその考えというのは、本当に自分が考えていることだと言えるのだろうか?
・社会はシステムから成り立ち、人間が社会の中で生きている以上、大なり小なり何らかの圧力を受けながら生きていることになる。
・すると自分という人間は、なにか大きな社会の圧力により、考えさせられているのではないだろうか?
・本当に自分自身から起こった考えだといえるのだろうか?
・社会の中にある様々な価値観や、誰かが語ったことをつなぎ合わせ、さも自分が考えているかのように錯覚しているだけではないのか?

[住職さんの話]
・大学を出てネパールに渡った。
・お寺に住んで、仏教、インド哲学、精神病理学などの本を読んだ。
・そこで、仏教の考えを持って暮らしていけば、全てうまく回っていくことを悟った。
・「全ての人は生まれながらに皆平等である」という教えだった。
・「神が見えた、光が見えた」というといかにも宗教だが、そのような感覚だった。しかし、別にこの名古屋千年ゼミの参加者の方に仏教の宗教観を押しつけるつもりはない(笑)。
・しかし一つ言えることは、宗教の中の話というのは、日常生活の中での比喩表現に使われていたり、ちょっとしたことを考える上での道具のようになったりしていることがあるということ。

[病気の話]
・うつ病は治そうとすればするほど悪化する
・がんは、がんであることを受け入れることで、治りやすくなるのではないだろうか?
・マクロバイオティック
・リンパ腫に放射線治療をしていたが、やめて帰ってきたら治ってしまった人が居る。

[世界に目を向ける]
・○(輪)になった暮らしというのは、自分たちでは完結しているようだが、外部の社会、世界から見れば孤立した暮らしと言えるのではないのだろうか?
・世界のことはよくわからない。
・自分のできる範囲でつながりを育てていけば、いいのでは?
・自分の学んだことを生かさなくては、という思いがある。
・男の人は、何か大きなことを成し遂げなくては、という思いに駆られることが多い?(笑)
・メシアコンプレックス(他の誰でもない自分がやるんだ!という意識)があるのでは?



…等々話していると、終電の話になったので、まだまだ話し足りない感じでしたが(主に住職さん)、おひらきということになりました。

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さて、第4回はこんな感じでした。
他にも話したことはありましたが、特定の団体名が入っていた関係上、割愛させていただきました。なので今回は、スケッチブックの画像添付も取りやめさせていただきます。

12月26日とあって、かなり寒かったです。住職さんが温かいお茶をくださって、生き返りました。リンゴも出してくださいました。

次の開催予定は未定ですが、今度はできれば休日のお昼時にやってみたいと考えています。やっぱりこの時期、夜道は暗いし寒いですしね…。



最後にちょっとした宣伝ですが、今年1月7日(土)に豊田で「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会と、鎌仲ひとみさんを中心とした、高野雅夫先生も含めた先生方とのトークセッションのイベントがあります。参加希望の方は中根様:ke-tin@banbino.jpまで申し込みの旨を書いてご連絡ください!(直前ですがまだまだ大丈夫そうですよ!)

・1月27日(金)には「バンビの独り言」の中根様と高野先生との講演会(申し込みは榊原様:chizuru23-s@nifty.com 090-8183-3102までご連絡ください)
・1月29日(日)には「母の日×卒げんぱつの感謝パレード」を企画された関口詩織さんと高野先生とのトークセッション

などなど、1月はイベントが目白押しです!くすぶってる暇がありません(笑)

第4回名古屋千年ゼミ議事録1

2012年01月02日 | 名古屋千年ゼミ
あけましておめでとうございます。
今年もいろいろと「くすぶりながら」頑張っていきたいと思います。
火種は絶やさずに。


さて、、年末はいろいろありまして忙しく、議事録をまとめている暇がありませんでした。
言い訳はそこそこに第4回名古屋千年ゼミの様子をご報告いたします。


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[第4回名古屋千年ゼミ議事録]

極寒(苦笑)の中、二人の新規参加者の方がおみえになりました。
※許可を取っていなかったので名前は伏せておきます。


一人は、林の高校時代の友達。facebookを見て参加してくれました。

もう一人は徳林寺で「つながりのまつり」※参考チラシ→の企画に参加された方。この方は、徳林寺のご住職、高岡さんのご紹介でいらっしゃいました。
こんなちんまいイベントの宣伝をしてくださった、高岡さんに感謝です。



今回のテーマはおおよそ、集団、というものについてでした。
ご住職の高岡さんも今回ははじめから参加してくださいました。

以前参加してくれた方が今回話してみたいと言っていた、ある社会的集団(共同体)のことを中心に話を進めました。

高校の友達も、興味のある社会福祉の団体について話してくれました。

つながり、絆、今の社会ではこのような言葉が尊ばれています。
集団がそこかしこにできています。

この名古屋千年ゼミも、ひとつの集団であるわけです。
勢いに乗って作ってしまった集団なわけですが、その根本について考えてみるきっかけになりました。


[新しい集団をつくるということ]

・集団ができるとき、その集団はどのような性質を持つのか?
 経済的?ビジネス的?
 学習的?
 宗教的?
 それによって集団の性質が全く異なってくる。
 名古屋千年ゼミの性質は?ゼミという名前なわけだし、学習的な集団であるのだろうか?
 
 名古屋千年ゼミでは、日頃、友達とは話せないような内容について話すことができます。いつもは表面的なことしか話せないし、笑い話にして適当に終わらせてしまって、もやもやしています(くすぶっています)。そのもやもや、くすぶり感をカラオケに行ったりスポーツしたり、憂さ晴らしのようなことをして無理やり紛らわすのではなく、根本的なところで自分が考えていることを吐き出す場所が、このゼミなのだと思いますが…?

…学び舎のようなもの、でも勉強するというわけじゃなくて、ほっとする、心のオアシスみたいな、ここにくると安心できる場所…

 一応これが名古屋千年ゼミである、という共通理解なのですが。。
 うーん。どういう集団か、と言われると難しいですね。
 参加している本人からすると、堅いこと考えずに皆でしゃべっているだけです。
 ただ、そのしゃべっている内容が、いつもと深さが違うだけだと思います。

・集団・コミュニティを作るというのは外部との壁をどうするかということ。
 その集団は開かれた集団なのか?閉じられた集団なのか?

 誰でも歓迎!の名古屋千年ゼミは開かれた集団である、と私ははっきり断言できます。が、本当にそうでしょうか?
 初めての方歓迎!最寄り駅まで迎えに行きます!と太字でブログに書くだけで果たして開かれた集団と言えるのでしょうか。
 
 「名古屋千年ゼミはお寺で開催させてもらっています。」
 
 こう書くだけで足が遠のいてしまう人もいるのではないでしょうか?
 また、ゼミという名前だし、議事録もあるし、自分がいきなり参加しても大丈夫なのだろうか?と考える人はもちろんいると思います。
 今回参加してくれた高校の友達も、これに関しては参加前に、少し心配だと相談してくれました。持続可能な社会という言葉にも疑問を感じていたようです。

 集団の性質、人の性格、どちらが作用しているのか微妙なところですが、全ての人にとって開かれた集団というのは、可能なのでしょうか。。
 
 ご住職の高岡さんも「開かれた寺」の実現について日頃から考えていらっしゃるようです。が、やはり開かれた集団をつくるというのは難しいようです。
 高岡さんも、この名古屋千年ゼミを徳林寺で行いたいと私共がうかがった時、利益目的の団体なのではないだろうか?と少し疑問に思ったそうです。始めはブログに書いた紹介文も「わけがわからない」と言われていましたし(今も…?)、本当に集団・コミュニティを新しく作るというのは難しいことだと改めて思いました。
 
 でも足助千年ゼミはなんであんなに上手くいっているのだろう???
 
 またひとつくすぶりの種が増えました。。。


[新興宗教と仏教などの伝統的宗教の違い]
こんなテーマを書くとさらに名古屋千年ゼミが怪しいと思われてしまいそうですが、そもそもなぜその“怪しさ”が出てくるのか?ということから話が始まりました。
ちょっと難しい話でした。主に高岡さんが語ってくださいました。

・宗教の要素とは
 
 開祖
 儀式
 戒律

 これらが揃っているのが宗教と言える。

・新興宗教と伝統的宗教の違い
 
 伝統的宗教では開祖はお亡くなりになっており、その開祖の教えや言葉を子孫や弟子がまとめたものが現在にも伝わり、人々の心のよりどころになっている。
 対して新興宗教では、開祖が現代に存在し、現代にある価値観を否定して、社会と壁を作っている。その上で新しい価値観を与え、現代の価値観に疑問を持つ人々の心によりどころとなっている。
 さて、、 
 
 つまり名古屋千年ゼミではご住職が教祖のようなものなのか?

 このように思われていたら悲しいですが、ご住職は単なる参加者にすぎません。ただ住職という職業上、宗教的な方面の蓄積が多いだけです。
 こういうテーマについて話した、ということを書くのも、もしかしたら誤解を生む原因になっているかもしれません。本当に難しいところです。



そんなことを話しているとき、先に書いた、ご住職の紹介でこのイベントを知ったという方がお見えになりました。
~ここからは議事録2に続きます!~