2019年もいよいよあと数時間だ。
今年はガキの使いはもちろん、紅白やRizinも観ながらゆったりと過ごすつもりだ。
昨年の今頃に書いたように、2019年のテーマは「何事も勇気を出して更に一歩を踏み出す事」だった。
先ほどのちくぜんアワードでも書いたように、一歩踏み出して巡り合えた作品が多く、私生活でも前に踏み出すように取り組むことができた。
自身の趣味としての音楽、文章、絵画の中で、文章周りは特に前に踏み出して行けそうだと思えるような意識が出てきた。
この意識を更に前に踏み出せるように来年は取り組んでいきたい。
怠惰な自分に向き合って嘘偽りない等身大の自分はこんな程度だと自己認識してきたのが去年。
その自分を認識した上で前に踏み出してみようぜと意識してきたのが今年。
では来年はどうすべきか。
来年は今を大事にしていきたいと思っている。
だらしない自分を認識しつつ、その中から出来ることが増えてきた。
来年はその今現在自分ができることをどんどん力強くやっていこうと思っている。
今時分が出来ることが今の人生自己ベストだ位の勢いでやっていこうと思っている。
そう思うきっかけになったのは、飯塚高史、獣神サンダーライガー、鈴木みのるの姿勢。
そして、昨日観てきたCDJ19/20のナンバーガールとサカナクションのアクトでそれは確信に変わった。
きっかけとなった3人のレスラーに共通していたのは過去の栄光に振り返らなかったことだ。
鈴木みのるはいつも自身のベストバウトを直近の試合だと述べている。
それが更新されるのも決まっている。次の自分の試合だ。
ライガーさんも過去の実績にはこだわらない。今出来なきゃダメだと言う。
自身がレジェンドと呼ばれるのもあまり好きではない。
飯塚さんはここ一番のサブミッション技を見せ、天山と握手こそしたが、今の自分の姿勢を最後まで崩さずに怨念坊主としてリングを去った。
そして最後の最後までバキバキの肉体を仕上げてきた。
この3人のプロフェッショナルは、今の自分ができる最高の事をしていると俺は思っている。
過去の実績に甘んじることなく、いつもそれを更新しようと努力したり、または今の自分ができる最大限を振り絞ろうとしている。
また、昨日観たナンバーガールとサカナクションのセミとヘッドライナーの並びは非常に素晴らしかった。
得意の焦燥感・疾走感に満ちた直線的でルードなナンバガの楽曲。
でもそれは過去の栄光に満ちた思い出の中のナンバーガールではなく、解散を経て各々が各々の道で研鑽を積み、再結成を迎えたナンバーガールの今なのだ。
それに対して「高いところから落とすのだけがプロレスじゃねぇ。直線で攻めるのだけがロックじゃねぇ」と言わんばかりに緩急自在の楽曲で勝負に出たサカナクション。
ナンバガ終焉の地となった北海道。
その北海道は札幌発のバンドから、邦ロックシーンに強く影響を残し、再結成で更に存在感を増したナンバガへの1つのリスペクトと回答を観た。
90年代末期~2000年代初頭の邦ロックシーンの中心にいたナンバガの今と、現在の邦ロックシーンを牽引するサカナクションの今がぶつかった。
この2つの対比が俺の脳内でスゲェ気持ちよく駆け巡った。
ジャンルは違えど、プロレスラーもミュージシャンも関係なく、この今のぶつかり合い・今を最高にしようとする意気込みが俺を熱くさせた。
一方で、人間弱いもので、過去に実績を出してしまうとそれに甘えてしまう側面がある。
酷くなるとその過去の実績を盾にふんぞり返った態度を取ったりもするだろう。
あまつさえ他者等の周囲の実績を元に自分がすごいんだと勘違いするようになってしまったらもう末期だ。
その例として、自分の父親の実績を盾に仕事もせずオンラインゲーム上でイキリ散らす日々を続け、家庭を滅茶苦茶にした挙句、終いにはその父親に刺されて惨めな最期を迎えた奴を俺は知っている。
・娘は自殺 妻はうつ病 元事務次官 44歳息子を殺害
そしてそんな自分と向き合えない生き方をしている奴に、世間様は何時だって冷てぇ。
過去に甘えて生きていけるようなご時世じゃないし、そもそもそんな生き方はダサいのでしたくはない。
だから俺は過去の実績に執着することなく、今を大事にしていきたい。
過ぎたことは自分がその時やった結果でしかない。
大事なのは今の自分が前の自分を超えられるか。
そして次の自分が今を超えられるか。
こういった意識を来年は強く持っていきたいのだ。
来年は選ぶ年。過去の栄光や周囲の実績に縋りつくのではなく、選ぶべきは自分の今。
自分の今をぶつける年にする。
歴史は大好きだしとても大事なものだが、それを今に活かせなきゃ意味ねぇのだ。
今・今・今なのだ。今を強く生きるのだ。
年号が令和に変わり、その元年もいよいよあと僅かだ。
来年も気を引き締めて、良い年にしていく所存だ。
ありがとう2019年。ありがとう令和元年。
良いお年を。
今年はガキの使いはもちろん、紅白やRizinも観ながらゆったりと過ごすつもりだ。
昨年の今頃に書いたように、2019年のテーマは「何事も勇気を出して更に一歩を踏み出す事」だった。
先ほどのちくぜんアワードでも書いたように、一歩踏み出して巡り合えた作品が多く、私生活でも前に踏み出すように取り組むことができた。
自身の趣味としての音楽、文章、絵画の中で、文章周りは特に前に踏み出して行けそうだと思えるような意識が出てきた。
この意識を更に前に踏み出せるように来年は取り組んでいきたい。
怠惰な自分に向き合って嘘偽りない等身大の自分はこんな程度だと自己認識してきたのが去年。
その自分を認識した上で前に踏み出してみようぜと意識してきたのが今年。
では来年はどうすべきか。
来年は今を大事にしていきたいと思っている。
だらしない自分を認識しつつ、その中から出来ることが増えてきた。
来年はその今現在自分ができることをどんどん力強くやっていこうと思っている。
今時分が出来ることが今の人生自己ベストだ位の勢いでやっていこうと思っている。
そう思うきっかけになったのは、飯塚高史、獣神サンダーライガー、鈴木みのるの姿勢。
そして、昨日観てきたCDJ19/20のナンバーガールとサカナクションのアクトでそれは確信に変わった。
きっかけとなった3人のレスラーに共通していたのは過去の栄光に振り返らなかったことだ。
鈴木みのるはいつも自身のベストバウトを直近の試合だと述べている。
それが更新されるのも決まっている。次の自分の試合だ。
ライガーさんも過去の実績にはこだわらない。今出来なきゃダメだと言う。
自身がレジェンドと呼ばれるのもあまり好きではない。
飯塚さんはここ一番のサブミッション技を見せ、天山と握手こそしたが、今の自分の姿勢を最後まで崩さずに怨念坊主としてリングを去った。
そして最後の最後までバキバキの肉体を仕上げてきた。
この3人のプロフェッショナルは、今の自分ができる最高の事をしていると俺は思っている。
過去の実績に甘んじることなく、いつもそれを更新しようと努力したり、または今の自分ができる最大限を振り絞ろうとしている。
また、昨日観たナンバーガールとサカナクションのセミとヘッドライナーの並びは非常に素晴らしかった。
得意の焦燥感・疾走感に満ちた直線的でルードなナンバガの楽曲。
でもそれは過去の栄光に満ちた思い出の中のナンバーガールではなく、解散を経て各々が各々の道で研鑽を積み、再結成を迎えたナンバーガールの今なのだ。
それに対して「高いところから落とすのだけがプロレスじゃねぇ。直線で攻めるのだけがロックじゃねぇ」と言わんばかりに緩急自在の楽曲で勝負に出たサカナクション。
ナンバガ終焉の地となった北海道。
その北海道は札幌発のバンドから、邦ロックシーンに強く影響を残し、再結成で更に存在感を増したナンバガへの1つのリスペクトと回答を観た。
90年代末期~2000年代初頭の邦ロックシーンの中心にいたナンバガの今と、現在の邦ロックシーンを牽引するサカナクションの今がぶつかった。
この2つの対比が俺の脳内でスゲェ気持ちよく駆け巡った。
ジャンルは違えど、プロレスラーもミュージシャンも関係なく、この今のぶつかり合い・今を最高にしようとする意気込みが俺を熱くさせた。
一方で、人間弱いもので、過去に実績を出してしまうとそれに甘えてしまう側面がある。
酷くなるとその過去の実績を盾にふんぞり返った態度を取ったりもするだろう。
あまつさえ他者等の周囲の実績を元に自分がすごいんだと勘違いするようになってしまったらもう末期だ。
その例として、自分の父親の実績を盾に仕事もせずオンラインゲーム上でイキリ散らす日々を続け、家庭を滅茶苦茶にした挙句、終いにはその父親に刺されて惨めな最期を迎えた奴を俺は知っている。
・娘は自殺 妻はうつ病 元事務次官 44歳息子を殺害
そしてそんな自分と向き合えない生き方をしている奴に、世間様は何時だって冷てぇ。
過去に甘えて生きていけるようなご時世じゃないし、そもそもそんな生き方はダサいのでしたくはない。
だから俺は過去の実績に執着することなく、今を大事にしていきたい。
過ぎたことは自分がその時やった結果でしかない。
大事なのは今の自分が前の自分を超えられるか。
そして次の自分が今を超えられるか。
こういった意識を来年は強く持っていきたいのだ。
来年は選ぶ年。過去の栄光や周囲の実績に縋りつくのではなく、選ぶべきは自分の今。
自分の今をぶつける年にする。
歴史は大好きだしとても大事なものだが、それを今に活かせなきゃ意味ねぇのだ。
今・今・今なのだ。今を強く生きるのだ。
年号が令和に変わり、その元年もいよいよあと僅かだ。
来年も気を引き締めて、良い年にしていく所存だ。
ありがとう2019年。ありがとう令和元年。
良いお年を。