なんだり、かんだり、ダイアリー。

ふと思う、そんな今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

3/11地震発生当時の私

2011-03-18 17:00:45 | 独り言
この日は平日、金曜日。
職場にいて普段通りに業務をこなしていた。
(会社は、仙台駅前のビル)

仕事をしていたら揺れを感じたので、
隣の席の人と「あ・・・地震だね」と顔を見合わせた瞬間、大きな揺れになった。

すぐに停電になって、非常灯が点いた。
揺れは一向におさまらず、机の下にもぐりこんで、揺れがおさまるのを待つ。

私は「早く おさまってー」と口走っていた。

100人くらいいる、大きなフロア。
すべてのパソコンは倒れた(仕事で使っているのはデスクトップ)
書類は散乱。

揺れたのが長かった。とにかく長い時間だった。


一旦 揺れがおさまってから近くの公園へ避難する。
私がいたのはビルの9F。
1Fまで階段で降りる。

公園へ避難してからも余震が続く。
余震・・・って小さい揺れをイメージするけど、全然違う。
ゴゴゴゴゴゴーって すごかった。

公園で待機していたけど、寒かったなぁ。
セーター1枚だもん。
そのうち雪がチラチラしてくるしさ~。

一応、ビルの安全が確認されてから もう1回9Fまで階段で行く。
自分の荷物を取りに行くためだ。
階段を上ってても揺れていたような気がする(たぶん、そうなんだろうけど・・・)
体力不足の私の脚がフラフラしていたのだろうか?
どっちなんだか分からないっ。


ロッカーへ行き、自分の荷物を取り、また公園へ戻る。
グループごとに点呼して解散となった。

この時は雪がバンバン降って来て、寒かった。

電車は通ってないし、どうしようかな?とウロチョロしてたら、
同じフロアにいる女の子(20代前半かな)を見つけた。

このコとは違う業務グループで、お話したことはなかったんだけど、
駅のホームで見かけたことがある。
違ったらアレかな・・・と思い、声を掛けていなかった。

お互いにそう思ってたらしく(笑)、自宅が同じ方面なので一緒に帰ることにした。
雪は、にわか雪だったのかな。すぐに止んだ。

電車だと13~4分なんだけど、徒歩で自宅まで2時間くらいかかった。


私は最初、そんなに被害が出る地震だと思ってなかった(ごめんなさい、全然情報つかんでない時だった)
でも、歩いている内に少し分かって来る。
停電なので、信号はついていない。
(主要の主要の主要のところは点いている)
道路は陥没している、または隆起している所が多数ある。
特に危ない!と思ったのは、橋と道路のつなぎ目。
あとは古い建物の壁。
落ちている所があった。


自宅までの道のりは遠かった。
歩いていても余震がある。歩いてて揺れを感じるんだから、相当な揺れだったのだろう。

でも1人で歩いて帰るのは心細い。同じ方角の人がいてよかった。

家に着いたら、父親がろうそくをつけてラジオを聴いて待っていた。
自分の部屋は、いつもの数千倍 汚くなっていた。
本棚は倒れ、CDなども飛び出して散乱、
ミニコンポ(今の時代、何て言うのかしら?ミニステレオ?)
それがスチールラックから落下、転げ落ちていた。

とにかく、物という物は落ちる。
電気の・・・輪っかの蛍光灯が外れて下に落ちていた。


こんな状態なので、自分の部屋には寝ることが出来ず、茶の間のコタツで寝る。
コタツって・・・電気が入ってないと、冷たいね・・・。
毛布を持ってきてコタツに入る。
完全に横になると寒いので、座イスにおっかかって寝た。

寝たっていうか。仮眠だね。


・・・そんな日でございました。





津波の被害に遭われた方々を思えば、
こんな・・・物が落ちて家の中がグジャグジャになることなんて、
たいしたことじゃありません。


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