被災地のみなさんは、一分一秒を頑張って頑張って生きておられます。
どうか被災地のみなさま方が、ご無事であられますように・・・
そして、みんなで助け合って、声をかけあって、どうか心の灯りがともりつづけますように・・・
と祈り続けながら、今日のブログを書いています。
さて、今回は「なんでも仙人の人生がどんどん良くなるシンプルな教え」の
読者のみなさまから、ご質問をいただきました。
ご質問内容は、下記の通りです。
「楽しいことをやったらいい」ということについて。
「ああ~気分が乗らないから今日はやめる。」
「あっこれ楽しいからやる!」・・っていうのは、
その人は良いかもしれないけど、周りの人には、迷惑がかかることもあるかな?
と思うのですが、いいんでしょうか??
なるほど。楽しいことだけやって、嫌なことはしない・・・というのは、
まわりの方が振り回されてしまうこともありますよね。
これについて、なんでも仙人お答えくださ~い!
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なんでも仙人のメッセージ
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具体的な例を出す方が分かりやすいかのぅ?
例えば、仕事やPTAの役、町内の役などで、やりたくない仕事がまわってくることがあろう?
そういう時に、「嫌だからやらない。自分の楽しいことをします。」と言うと、
まわりの者に迷惑がかかるよのぅ。
時と場合によって、逃げられない時がある。
逃げられない時は、「いかにおもしろい課題名をつけて向き合うか?」
これが必要になってくる。
「こんなネーミング笑える!」
と、吹き出すネーミングであればあるほど効果的!
つまり、ものごとのとらえ方、見る角度が変わるということ。
それに対し、逃げられるもの、例えば、個人単位の判断で決められることの場合。
「今日はこの会に参加する約束をしたけど、なんとなく行きたくないなぁ。」
と気分が乗らない時は、
実際参加してみても、「やっぱりあまり意味がなかった。」なんて結果になったりする。
予感というものは、あたるものじゃ。
「なんとなく行った方がいい気がする。」
「なんとなく行かない方がいい気がする。」
「なんとなくこの本にひかれる。買った方がいい気がする。」
「この人はなんかあやしい感じがする。」
など、直感にはまず間違いがない。宇宙(内なる自分)からくるインスピレーションゆえ。
しかし、「行きたくない。」と思っていいるのに、
「主催者に悪いなぁ。」と気をつかったり、
「誘ってくれた友達に悪いから・・。」
などの理由で、参加する場合もあろう。
これは頭が出した答えであって、心(魂)が出した答えではない。
「本当は行きたくないけど、行かなくっちゃ~・・・。」
という波動で出かけていくと、
そこに集まる者も、
「やりたくないことでも、無理して頑張らなくっちゃ。」
という波動で出迎えてくれる。
目の前の人は自分の一部を映す鏡ゆえ、
自分が楽にリラックスして、いい感じにゆるんでいる時は、
目の前の相手も、リラックスした自分で対応してくれる。
断りの電話を入れても、
「いいよ~、いいよ~、また来たいときにいつでも来てね~。」
なんて、電話口で明るく返事を返してくれたりする。
ところが、自分が無理をしている時は、相手も無理をしている自分で向き合うので、
「参加できない。」と言おうものなら、
「え~・・・、困ったわ~。」という無言のプレッシャーを、
電話をとおして与えたりする。
頭で答えを出すのではなくて、心(魂)で答えを出す。
心がYESと言ったところには、自分が望んでいる情報や、人との出会いが待っている。
しかし頭で「あ~や、こ~や。」と考えて、無理無理出した答えは、
とかく自分を苦しめる方向に向かわせる。
分かるかな?