みやがわみちこがお届けする「なんでも仙人」ブログ

過去世の記憶⑧


 自分自身の過去世の記憶を思い出すことで、
 生まれ変わりの謎や、宇宙のしくみについて、
 少しずつわたしの中で理解が深まってきたように感じています。

 さて今回は「過去世の記憶」8回目、
 いよいよ宇宙の壮大なしくみについて、お話する時がやってきました。

 この内容についてお話するのは、大変勇気がいることだとわたしは思っています。

 なぜなら、受け取り方を間違われると、その方を傷つけてしまう恐れがあるからです。

 けれどこの内容をお伝えすることで、救われる方もたくさんおられるのではないか?
 と思い、勇気を出してお伝えすることにしました。

 わたし自身の過去世の記憶をもとに、できるだけ分かりやすく、
 誤解のないようにお伝えしていきたいと思います。

  
 過去世のわたし自身の悲痛な叫び、
 「なぜ神様が本当におられるのなら、わたしが殺される前に助けてくださらなかったのか?」
 
 この疑問と怒りについて、対話をしてみました。

 わたしが対話をしている存在については、
 なんでも仙人のメッセージブログ(出会い)でお伝えしていますが、

 「神様」という表現は、人がつくったものであり、
 実際は「愛や光」という表現が的確なのだと、以前教わりました。
 
 『愛や光』は、わたしたち一人一人の存在を、
 「愛してやまない存在だ」と言い続けておられます。
 
 どの人のことも愛しつづけ、認めつづけ、許しつづけているのだと・・・。

 ではなぜ『愛や光』は、わたしが殺される前に助けてくださらなかったのでしょうか?

 この問いかけをしたとき、
 とても悲しそうな波動がわたしに伝わってきたのです。
 
 その悲しみは、わたしの痛みをわたし以上に感じておられるかのような、
 なんとも言えない悲しそうな波動でした。
   
 「なぜなんですか?」
 
 しつこく問いかけた時、
 突然、忘れていた過去世の記憶が、わたしの中によみがえってきたのです。

 その記憶とは、殺された過去世よりさらに以前の記憶でした。

 それはエジプトで神官をしていた時代や、
 他にも神様に仕える役職をしていた時代の記憶。

 神に仕える役職として、その教えに背いた人を、裁いている自分の姿でした。

 今なら裁かれなくていいようなことが、
 その当時、「神」の名のもとに人が裁かれ、亡くなっていたのです。
 
 自分は罪の意識もなく、人を裁いたことがある・・・。

 昔の刑罰というのは大変残酷で、
 中にはお腹を串刺しにされて亡くなった方もいたのでしょう。
 
 そんな自分の罪に対して、亡くなったあと深く反省をし、
 自分の魂が乗り越えられるくらい成長した時期に、
「自らその痛みや苦しみを体験してきます。」
 と、人生計画にもりこんだ・・・。
 
 つまり、過去世でわたしが罪もなく串刺しにされて亡くなったのは、
 「あの時あの人はどんなに痛かっただろう・・・。」
 「苦しかっただろう・・・。」
 「悲しかっただろう・・・。」
 「罪もないのに裁かれて、どんなに悔しかっただろう・・・。」
 「その痛みを、今度は自ら体験してきます。」
 そう自分自身で決め、人生計画を立てていたのです。

 ここで注意すべき点は、
 "天罰がくだって、こんな目にあったのではない"という点です。

 あくまで自分で決めてきているわけです。

 ではなぜ自分にとってこんなにも過酷な人生計画を、
 自ら立てることができるのでしょうか?

 ここに宇宙の壮大な仕組みがあるわけですが・・・
 
 つづきはまた改めて。




 
 
 
 

 

 
 




  
 
 

 

コメント一覧

なんでも仙人の弟子
よかったです。
玲名さんへ

お久しぶりです。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
納得していただいたとのこと、とても嬉しいです。
腑に落ちないと、心や体に余分な力がかかりますから・・・。
玲名さんが幸せで何よりです(^-^)。
~玲名☆Reina~
今は解ります(^_-)-☆
http://ameblo.jp/spiritual-peace/
お久しぶりですm(__)m

先日この「自分で決めてきた」という件を聞いて、納得した私です。
その当時は辛かったけれど、今はそれがあったから今の私があると思っています。
今はとても幸せに暮らしていると思いますヨ(^_-)-☆

この先のお話も楽しみにしています♪
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