みやがわみちこがお届けする「なんでも仙人」ブログ

ご相談例二十一  捨てられる野菜について


わたしの素朴な疑問コーナー①です。

何年か前の話です。
 
新聞に『今年は野菜ができすぎて野菜の値段が下がり、泣く泣く野菜を捨てている農家がある』
という記事が載っていました。
この記事を読んで私は悲しくなりました。
世界には食べ物が足りなくて、餓死する人がたくさんいます。
その方たちに分けてあげられたらどんなにいいだろうと思いました。
でもその国に野菜を届けるには、運賃や手間賃がかかってしまい、
送れば送るほど農家の人たちに負担がかかってしまいます。
この捨てられてしまう野菜を有効活用する方法はないのでしょうか?


大きなことを問う前に、まず自分自身のことを問う。

★食べきれずに捨ててしまった食材はないか?
★冷蔵庫の中でほったらかしにして、無駄にしてしまった食材はないか?


一人一人がそういった意識をもつことが、とても大切なことなんじゃよ。

さて野菜の値段が下がり、泣く泣く捨てたとあるが、野菜の価値とは何か?

野菜の値はその年その年の収穫高により変わる。
みなはその値で野菜を見る。

しかし野菜の価値は、値により変わらぬ。人が決めるものにあらず。


「では野菜の価値とはなんですか?」

命。人も野菜もどちらも同じ命。

命をいただいて、人は生かされている。
その感謝の気持ちこそ真の答え。


「命をいただいていると感謝して野菜をいただくのか、
ただ野菜を食べていると思っているのかで、意識が全然違うということですね?
では、冷蔵庫で古くなってしまった野菜を捨てる時は、感謝して捨てればよいのですか?」   



感謝がないから捨てるのじゃよ。
せっかく育った命を無駄にする。これほど悲しきことはない。


「ではどうすればよいのでしょうか?
農家の方々も、余った野菜を自分たちだけで食べるには、限界があります。」



なぜまわりに振舞おうとしないのかね?

大根でもキャベツでも料理して振舞えばよかろう?

『今年の収穫を祝って、おでん祭りを開催します!どうぞお越しください。
丹精こめて作った愛情たっぷりのおいしい大根をじっくり煮こんでます。ぜひ味わってください。』



そうすれば人が集まってこよう?

人がくればその町に金の流れができる。

集まった者たちが何に喜び金を払うか考え、おでん祭り会場に店を出す。
村おこしじゃ。

おでん祭りに集まってきた者たちは、
「おいしいおでんをただでご馳走になった。」と喜び、感謝するであろう。
農家の者たちのあたたかみに触れ、交流がうまれるやもしれぬ。

農家の者たちは自分たちがどんな想いで野菜を作っているか語れる絶好のステージとなろう。
また会場に出展した店により収入も入る。

野菜も捨てられずに、みなにおいしくいただいてもらって喜ぶ。

これが関わるすべてのものが喜ぶという答えじゃ。喜びのエネルギーはよき渦を巻く。

食べ物に感謝し、どのように役立てるか?
人はそれを考える手間を惜しんではならぬのじゃよ。

遠くを見るから答えが見つからぬ。

答えはいつも目の前にある。
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