なんだか陸上競技のフライングだのなんだので
いろいろ大変なことがあったようですねえ。
わたしは文系なので、体育系のああいう大会自体
ばかばかしいと思いますが、大会でももめるなんて
いっそうばかばかしいことこの上ないと思います。
……だって、文系、とくに文学系ともなると、
そういう大会なんて皆無です。
たとえば書道。書いたものを送ってうまさをきそい、
その中から上位10名を集めて大会を開き、
その場で書かせて優勝を決める、なんてことやりません。
たとえば小説。文章を応募して、上位だけを一箇所に集めて
大会を開き、そこで新しい小説を書かせて
トップを決めるなんてことも行われません。
たとえば俳句。俳句を募集して応募作の中から上位を選び、
そこで選ばれた人が集まり、大会を開いて
そこで詠みあって優勝者を決めるなんて――
ちょっとは やっているかもしれませんが、
大々的に報じられるようなものでもありません。
なのに体育系ばかり大会を開いて盛り上がるのは
正直言ってずるいです。
ほかの文学系の選別のように、たとえば普段の練習の中で
タイムや高さをはかり、それを記録したものを応募し、
その中から順位をつけていけば大会なんて開かなくても
それで決定するではありませんか。
不正が心配というのであれば、正式記録をつけられる役員がいる
大きな体育館のような場所があって、毎週でも記録会を行い、
何回でも走って自分の一番いいタイムなり高さなりを
応募できるようにすればいいと思います。
まあ、それはそれとしても、わたしも陸上のスタートは
ばかばかしいなと思っていました。
各人が1回ずつフライングしてもよいとなれば、
全部で6コースあるなら6回もスタートのやり直しを
させられることもありえるわけです。
最初の一人だけのフライングが許されて、
次の一人のフライングは即失格というのも、
最初の一人と次の一人の優遇され方が違います。
他人のミスのせいで全員が影響を受けるのはくだらないです。
それを思って、陸上競技のスタートはどんなのがいいか考えると、
競艇式のスタートが一番スマートだと思います。
たとえば、スタートラインの10m手前に選手たちが並びます。
スタートのピストルを撃つ人はいなくて、
トラック横においてある大時計が、
スタート10秒前くらいに動き始めます。
選手たちは動いたらいつ走り出してもいいのですが、
スタート時間より前にスタートラインを超えていたらフライング。
中距離・長距離なら様子をみながらコースから出ます。
時間でスタートできていた人たちは、
フライングした人たちのせいでとめられることなく、
一度のスタートで走りきれます。
スタートは毎回写真判定になりますが、
競艇でもやっているのでできない技術ではないでしょう。
この先、スタートがどう変わっていくのかは知りませんが、
それまでがんばってきた各人が不利益をこうむらない形に
なってほしいものだと思います。