なんだか最近、『お見舞い申し上げます』という文が目につきます。
たとえば、テレビで、新聞で。
見るたびにどこか心の奥のほうでむかっとするのですが、
そのまま流していました。
が、さらに宣伝メールでも、心よりお見舞い申し上げますという
文章が送られてきたので、ネットで検索してみました。
たとえば、『心よりお見舞い申し上げます』で検索すると、
ずらっと出てくるのは地震関連の見出しです。
『心より』を抜いて『お見舞い申し上げます』だけで検索しても、
出てくるのはこれまた地震関連ばかり。
……これ、最近のはやりなのでしょうか?
わたしにとっての『お見舞い』とは、
古語の『見る』、つまり『会う』につながる単語です。
『見舞う』で、『やってくる』というようなイメージを感じます。
たとえば、弾丸を相手に直接当てるとき、
「陰陽弾をくらえっ!」
というセリフは
「陰陽弾をお見舞いしてやるぜ」
とも言い換えることができるでしょう。
また、『地震に遭った(=会った)人』は、
『地震に見舞われた人』とも言えます。
加えて暑中お見舞いというのは、自分の代わりにはがきなどを送り、
対面させるという手段によってなしえるものです。
このように、『見舞われる』は『会う』にかなり近しい言葉です。
では、今回の地震で、
『被災者の方には心よりお見舞い申し上げます』
とはなんなのでしょうか?
正直、わたしは思います。『見舞ってないじゃない』と。
わたしがおかしいのかと思って辞書を引いて見ましたけれど、
『お見舞い申し上げる』にはやっぱり、
『残念だと思う』といった意味はありません。
むしろ、『会う(見る)』を本意とするものしか書かれていません。
会いもせず、対面もせずに、『お見舞い』なんて使ってほしくありません。
たとえば総理が、「被災地がんばれ」なんてテレビで呼びかけたら、
それは被災地に『お見舞いに行った』ということになるのでしょうか?
ネットやテレビのように指向性のないもの、
対象の定まっていないブロードキャスト(広くなげっぱなすもの)で
『見舞う』を使うのはどうしても違和を感じずにはいられません。
『心よりお悔やみ申し上げます』ならわかります。
でも、『心よりお見舞い申し上げます』はわかりません。
どういう意味で、どうしてその文として使おうと思ったのか、
書いてる人に訊いてみたいです。
個人的な推測としては、『お悔やみ』などの単語の使用を避けるため、
『なんかそれっぽい』単語で置き換えを計ろうとしたように思えます。
意味のある単語をすりかえて、意味のない、
わかったようなわからないような文章にするというのは
政府のよくとる手段です。
このくだらない言い回しがどこから出てきたのかを考えると――
もしかしたら、政府の発表かどこかで使われたのかもしれません。
発祥の方には心よりの侮蔑をお見舞い致したく思います。
未だに違和感は拭えませんが、少し気が楽になりました。
定着していってしまうのでしょうね。
こんなわけのわからない言葉、せめてテレビで流すのはやめてほしいと思います。
どうしてテレビや政治家の方々が当たり前のように使うのか不思議で仕方ありません。
何か考えがあるのでしょうか。
4年の月日が流れても、傷はまだ癒えません。