直列☆ちょこれいつ

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ゲシュタルト心理学とリスクマネジメント

2007年12月27日 | ちょこのひとかけ


さて、問題です。

1+2×3=

答えはいくつになるでしょう?


そんな問題が、なにかのテストで出されたらしいです。
正解は7ですが、9と答える子は少なくなかったとか。
四則演算の基礎もできていない、
おろかな子どもが増えた――と、
世の中はそうやって言いたいように思えます。

でも。
どちらかといえば精神分析学派寄りのわたしでも、
かじった程度のゲシュタルト心理学で
これのおかしいところがわかります。
加えて、危機管理や危機状況分析の観点でも
このばかばかしさが鼻につきます。

まずはゲシュタルトで見ていきましょう。
ここで用意するのは○と●。
このオブジェクトの引力(仮称)は、
○●よりも、○○や●●の方が強いのです。
たとえば

●○○●●○○●●○○

実はこれは、
●○と○●と●○と○●と●○と○を組み合わせたものですが、
たぶん白と黒とで別れて見えたはずです。

では次。

+××++××++××

さて。これはどういう風に別れるのが気持ちいいでしょうか。
また、そのわけかたに、優劣はあるでしょうか?
具体的に言えば、+のほうに真っ先に目をひきつけられるでしょうか?
それとも、×のほうに真っ先に目をひきつけられるでしょうか。
そういうことです。

一方、それを変形して、

+(××)+(+×)×(++)××

これならどうでしょうか。
分け方はどうなっているように見えますか?
たぶん、括弧でくくった部分が強く見えるはずです。

というところで、

1+2×3=

を見てください。どこで別れますか?
一目で、
1+(2×3)=
のくくりになるでしょうか?
認知心理学・ゲシュタルト心理学の見地では、
そのくくりにはなりません。

+と×とでは、記号として目を引く強さが
ほぼ同じだからです。
そのため、並びをくくりとして『見ることはできません』

となると、ゲシュタルトとしては
1+2×3=
のそれぞれの強さは同一。
同一ゆえに、頭から計算してしまうのもありがちだ、と
いえるでしょう。

そんなのは屁理屈だ、と言うのは簡単。
なら、これはどうでしょうか?

6/5

これ、なんでしょうか。

実は、6月5日です。……うそです。
実は、6発撃ったら5発あたったという意味です。……うそです。
実は、5発撃って6個の的を壊したという意味です。……うそです。

さて答え。

実はこれ、
http://nanmo_nanmosa.goo.ne.jp/6/5
みたいな感じで、フォルダとフォルダの中身のルートなのです。
たぶん。

なんの説明もなくこんなものを出されれば、
答えの変更できるクイズになんて簡単にできます。
どれもみんなやってしまいがちです。

それを防ぐためには、
たとえば 6/5 (月/日)
たとえば 6/5 (発射/的中)
たとえば 6/5 (的中/発射)
と書けば一目瞭然。

なのに、なぜ
1+2×3=
は、
1+(2×3)=
と書かないのか、ということです。

そんなのあたりまえだし、美しくないからだとか
くだらない数学者などは言うでしょう。
こどもの学力がないのが問題だとか、
わかったように言う大人もいるでしょう。
間違えるのは頭が悪いからであり、
個人の怠慢があるからであると、
心無い人間は侮辱します。

そしてそれは、危機管理の場面でも同じ。


たとえばこれを見てください。

● ● ●

実はこれ、工場のスイッチです。
左から順に、
・高温のガス炉の起動スイッチ
・非常用、室内全体の二酸化炭素消化装置のスイッチ
・高温ガス炉の停止スイッチ
となっています。

これは、どこで分割できるでしょうか?

ゲシュタルトの観点で行けば、黒丸3つは不可分で、
たぶんどこでも切れ目がないように見えるはずです。

――ということは?

一日の始まりに、ガス炉の起動スイッチを押そうとして、
いきなり二酸化炭素消化装置のスイッチを
押す危険があるということです。
または、就業の終了にうっかり消化装置を
作動させる危険もあるということです。

実際にそんなことが起きれば、
逃げ遅れた人が二酸化炭素で窒息死する可能性があります。
でも会社では、押した人が悪いんだと、
注意不足だったとでも言うでしょう。

でも、違うのです。
ゲシュタルト心理学の観点からすれば、
まとまりをもつ配置にしていることが、何より原因です。

ミスするように思えるものがあれば、
いつか必ず誰かがミスをします。
一つだけ危険なスイッチがあるのであれば、
3つが同等に扱われる、

● ● ●

なんて間違いです。
すくなくとも……
たとえば、

● ●  ○

このように、まとまりが変わるように
しなくてはいけません。

間違える人がいるというのは、ずっと前から言われてきました。
なら、間違えようがない形にするのが、
リスクマネジメント、危機管理の考え方なのに。

これは、工場だけのことではありません。
あめだまがあかちゃんののどにつまるから、
あめだまの形を変えて中心に穴を開ける、
こどもの目にあたる可能性があるから、
外でたばこは吸わない、
車椅子の人が困るから、道に段差はつけないようにする。
それが暮らしやすさや やさしさというものではないでしょうか。

というところで、あらためて訊きましょう。
1+2×3=
を、
1+(2×3)=
と書かないのはなぜですか、と。

「間違った、間違った!」
と喜んで人の失敗をあげつらう前に、
だれが見ても間違えのないように
書くようにすればいいだけではありませんか。
それはリスクマネジメントどころか、
障壁破壊、バリアフリーの考え方にも通じると思うのですが。

正直わたしは、こどもの学力低下よりも、
こんな形式さえ人に合うように変えない、
変えたくない人々のほうが そら恐ろしいと思います。

まあ、個人個人は変えたいと思っていても、
個人の総和以上の存在である、集団が拒んでいるのかもしれませんけどね。

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