なんとなくネットを眺めていたら、お金が来る人、来ない人
というような話を目にしました。
お金が入ったとき、自分に贅沢をさせられる人のところには
お金が来やすくて、自分に贅沢させられない人のところには
お金が来にくいというようなことが書いてあったと思います。
それを見て、贅沢しないからお金がこないのか、
お金がないから贅沢できなくなっているのかの流れに
納得できないものは感じましたが、
そういうこともあるのかもしれないなあとはちょっと思いました。
わたしはお金がないし、贅沢もできない人間なので、
物産展や旅先などで、おいしいかおいしくないかもわからないものを
味の種類ごとに買って帰るという行為がすごく無駄に思えますし、
食べもせず冷蔵庫で腐らせるだけのなまものを買ってくるのは
その行為自体がとても嫌だと思います。
でも、何度言ってもやる人はやめてはくれません。
食べ物やお金に対する冒涜と思えたこの行為も、
もしかしたら次のお金がやってくる呼び水となる、
贅沢なのかもしれないなと、先のそれを読んで思いました。
では、そんなことはしたくないわたしが贅沢をするとしたら
どんなことができるのでしょうか。
100万円あげるから贅沢しなさいと言われたら、
そのお金はそのまま貯金したいです。
本当にお金が必要になるものは、100万円でも足りないでしょうから。
贅沢するなら1億円あげると言われてお金を託されたら……
どうしたものでしょうか。
普段使うティッシュペーパーを鼻がひりひりしない
柔らかいのに変えてみるとか、
電気釜のグレードを一段あげてみるとかでしょうか。
普段満足しているもののレベルを上げることは、
贅沢と言っていいのでしょうか。
普段で満足してるもののランクを上げるのは
ちょっとした贅沢なのは間違いないでしょう。
でも、ふと思うと、それをしたところで
わたしがまったく嬉しくないということに気づきました。
やりたくもないのに無駄に値段を上げるのは
単なる無駄以外のなにものにも思えません。
贅沢。贅沢ってなんだろうと、ちょっと考えてしまいます。
もっと無駄で、もっとわたしが嬉しいものを
贅沢だと呼びたい気がします。
いったい何があるかとぼんやり考え続けたところ、
思い至ったのはドライブでした。
サービスエリアなどに寄ったとき、ちょっと食べてみたいと
思うものはあれど、高いし、おいしいかわからないし、
食べても食べなくてもいいなら食べなくていいやと
いつもそのまま流します。
そんなのを食べてしまったら、贅沢ではないかと思います。
ドライブでも、ひとつ先までいったら大きなサービスエリアが
あると思っても、引き返すのにお金がかかるのでやめます。
でも、敢えてしたら贅沢だと思います。
それを合わせて、まともな目的地も設定せず、
無駄にサービスエリアをはしごして、
そこで適当においしそうなものを食べ歩く、というのは
楽しそうだし、結構な贅沢ではないかと感じました。
……ああ、神様。お金が一億円もらえたら過たずこんな贅沢してみせますので
ぜひともどうかわたしにお金をください。